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MACROCOSM Vol.95 発刊日2011年8月
 

Vol.95  2011年8月



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国際青年交流会議 基調講演


  • 「若者がつくる未来と世界」

平成23年7月7日(木)
ANAインターコンチネンタルホテル東京

ジャーナリスト 嶌 信彦 氏

 今日は7月7日で、日本では七夕のお祝いをしています。七夕とは、織姫と彦星という二つの星が一年に一度出会うことを祝う日です。笹の葉に願いごとを書いておくと、その願いが通じると言われています。ここ数日、ホテルや学校等様々な場所で、七夕の願いごとを書いたカードを見かけます。「好きな人と一緒になれますように」、「学校に合格しますように」等の個人的な願いもありますが、今年は東日本大震災があり、原発の事故がありましたので、「早く大震災から立ち直れますように」とか「世界の人からいろいろな援助をいただき、ありがとうございます」といったメッセージもあります。今、日本は、大変な状況に置かれています。原発の事故等で世界の皆様にご迷惑やご心配をおかけしたことについては改めてお詫び申し上げたいと思います。また、150を超える国や機関から日本に対して様々な支援や励ましをいただいたことに心から感謝申し上げたいと思います。 

 日本は今、単なる危機ではなく、「国難」に見舞われています。それは、この間の大震災で、東北の東日本沿岸は500キロに及ぶ津波が来て、1万5,000人以上の方が亡くなり、約5,000人の方が行方不明となり、避難生活をされる方が10万人もおられるからです。原発の事故のために、自分の住んでいたところからやむを得ず他の場所へ移動しなければならない人も大勢います。また、農業、漁業、工場も大変な被害にあっています。ですから、この国難をどのように乗り越えるかが、今の日本にとって大きな関心事であります。 

 日本が途上国から先進国の仲間入りをしたのは、ここ150年くらいのことですが、僕は、今回の国難はこの150年間で3回目のものであろうと思います。これまで2回の国難をどのように切り抜けてきたかをお話ししたいと思います。

最初の「国難」

 最初の国難は19世紀の後半、1860年代のことでした。日本は大陸と離れているため、外国から侵略されたという歴史がありませんでした。日本は「鎖国」といって、外国とあまり交渉を持たずに、二千年以上にわたって日本独自の文化を育み、独立した国としてやってきました。1860年代までの260年以上、江戸時代は徳川家という将軍の下に運営されていました。徳川将軍の下には、大名といわれるお殿様が200以上いたと思われます。

 1860年代になって、突然、欧米の列強といわれる国々が軍艦で日本にやって来て、開国を迫りました。当時の日本にはすばらしい文化がありましたが、外国が持っていた蒸気機関等の新しい文明の機械は持っていませんでした。そのため、日本が欧米と戦争をすれば、負けてしまい、植民地になる可能性もありました。

 国内では、意見が二つに分かれました。開国して外国と付き合った方がよいという意見と、外国とは付き合わないで、日本独特の文化を戦ってでも守るべきだという意見に分かれ、260数年間続いた徳川時代が大揺れに揺れたのです。やがて、外国勢力を前に国の意見が一つにまとまらなくてよいのかという議論がおこり、徳川政権を倒して新しい政権を作った方がよいという意見が出てきました。このような時期に活躍したのが、武士の中でも地位の低い下級武士といわれた坂本竜馬、中岡慎太郎、高杉晋作、西郷隆盛などです。また、幕府の官僚であった勝海舟や各大名の下にいた多勢の若者も藩を飛び出して、日本はこうあるべきだと説いて回りました。260年も続いていた徳川幕府がまさに崩壊しようとしていた国難の時期に、実際に日本国を動かしたのは、20代から30代で、武士の中でも地位の低い人たち、また、彼らを助けた町民、商人でした。日本は開国すべきだと大名を説き、徳川幕府を説き、1868年、明治という新しい政府を作ったのです。

 徳川時代は、武士、農民、商人といった身分に分けられた封建制度の時代でしたが、明治政府は近代国家に衣替えしました。将軍がいなくなり、議員を選挙で選び、国家の軍隊や教育制度を作り、民主主義制度を作り、国を挙げて貿易をするという今までとは全く違った国家の形態を作りました。この動きの中核を担っていった最初の人々は、反対派に狙われて、殺害されることさえありました。しかし、彼らは、封建時代を終わらせて、新しい近代国家を作らなければ日本は世界に遅れてしまう、そのためなら自分は亡くなってもいいんだという覚悟でのぞんでいったのです。明治時代になると、その思想を受け継いだ30代、40代の人々が日本国の首相になり、明治政府を確立させていきます。第一の国難と言われた時期に、いわゆる欧米風の近代国家が作り上げられていったのです。

 やがて、日本は1894年に中国と戦い、1905年にはロシアとも戦争します。戦争に勝利した日本政府は今後どのように生きるべきかというスローガンを掲げます。一つは「富国強兵」です。「富国」とは国を豊かにすること、「強兵」とは、軍隊を強くすることです。もう一つは、「殖産興業」です。産業を興して工業国になるということです。このようにして、日本はヨーロッパやアメリカ合衆国等の先進国に追いつき、追い越そうと努力し続けてきました。これが、封建時代から近代国家を作る過程の一つの歴史、国難を乗り越えた歴史でした。この動きの中心になったのが若者であったことが大きな特色です。

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日本・ASEANユースリーダーズサミット
 
 
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