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日本・ASEANユースリーダーズサミット2015【基調講演録】

平成27年11月3日(火)、国立オリンピック記念青少年総合センターにて、日本・ASEANユースリーダーズサミットの一環として、独立行政法人国際協力機構 国際協力専門員の石川幸子氏による基調講演が行われました。

石川氏は第8回「東南アジア青年の船」事業に参加されました。石川氏は、御自身の「東南アジア青年の船」事業での経験をもとに、この事業からどのような影響を受けたのか、これまで取り組んできた活動や経験、ASEAN諸国と日本との関係について語られ、世界、国家、社会、地域を構成する一員である若者がどのようにリーダーシップを発揮して貢献できるのかについて英語で講演されました。

この講演は、「東南アジア青年の船」事業参加者330名、ユースリーダーズサミット参加ローカルユース100名、運営スタッフ70名の合計約500名が聴講しました。

私の東南アジアへの旅 3Eの向こうに
~Empathy 共感、Experience 体験、Engagement かかわり~

石川 幸子氏
(独立行政法人国際協力機構 国際協力専門員)

皆さんおはようございます。元気でしょうか。元気そうですね。まず、日本・ASEANユースリーダーズサミット2015の主催者である内閣府、一般財団法人青少年国際交流推進センターに対し、ASEANの国々と日本の400名を超える青年と出会い、また、私の考えや経験を皆さんと共有することができるこのすばらしい機会を与えてくださったことに感謝申し上げます。

昨夜、私は今朝ここに来ることを考えると、わくわくしてよく眠れませんでした。まるで初めての遠足が待ち遠しい小学生のようでした。今朝、オリンピックセンターで皆さんに会うことを本当に楽しみにしていました。それには二つの理由があります。

一つ目の理由は、まるで約30年前の自分を、皆さんの中に見つけるかのような気持ちになったからです。私も1981年に皆さんと同じ「東南アジア青年の船」事業、SSEAYPに参加しました。(まだ皆さんは生まれていなかったかもしれません)それは私にとって2回目の海外旅行の経験でした。私は日本参加青年の仲間たちや、これから友となるASEAN各国の仲間たちと共にこれから始まる船のプログラムに期待して胸を高鳴らせていました。しかし、正直に言うと、これからの船旅と寄港地活動で何が起こるのだろうと少し不安な気持ちもありました。今日、私は皆さんに会い、そう、まさに自分の時のことのように皆さんの気持ちが分かります。皆さんはわくわくしていると同時に何が起こるかわからない、これからの1か月半が少し心配でもあることでしょう。

二つ目の理由ですが、私は皆さんがこれからの船のプログラムやユースリーダーズサミットを通じてどのように変わるのかとても関心があります。日本人ローカルユースの皆さん、ASEAN諸国の皆さんを迎え、彼らの文化を知り、彼らに出会えるのは本当に幸運なことですね。皆さんの中にはユースリーダーズサミットの経験にとても感銘を受け、来年、又は数年後にはSSEAYPの仲間に入りたいと思っている人もいることでしょう。私は皆さんを激励し、次のようにアドバイスします。それは、「自分にとって居心地の良い場所から抜け出して新しい友達を作り、この経験から得られる全てのことを味わい尽くす」ということです。

明後日にっぽん丸に乗船する皆さん、仲間入りおめでとう。そして良い旅を!皆さん、千差万別の背景を持つ友人たちの間で自分自身について新しい切り口を発見してください。異なった文化や風習に対する自分自身の柔軟性に欠けた反応にショックを受けるかもしれません。また、その国の歴史や何千年も積み重ねられた叡智に魅了されることもあるかもしれません。そうですね、自分のポジティブな、そして、ネガティブな反応の両方を受け入れてください。それは自然な始まりの姿です。

今日、私は「青年の社会活動への参加」という、ディスカッションの共通テーマに沿って何か話すことになっています。とても大きくてシリアスな内容ですよね。このテーマについて皆さんに伝えたいことがいくつかありますが、まずは、私の経験を皆さんと分かち合うことに決めました。というのも、そのほうが何か理論的なことや非現実的なことを言うよりも説得力があると思うからです。

3Eとは何か

このようなわけで私はこのスピーチの題名を「私の東南アジアへの旅~ 3Eの向こうに」と名付けました。皆さんは3Eが何か分かりますか。皆さんは3Rは御存知ですよね。「Reduce減らす」「Reuse再利用」「Recycle再生」ですね。環境キャンペーンの言葉です。私はそれらの代わりに、今日のディスカッションのために3Eを考え出しました。それらは「Empathy共感」「Experience経験」「Engagementかかわり」です。これらの3Eはより良い社会、より良い世界のためにどんな貢献ができるかを考える際に特に注意を払うべきキーワードです。これらは実のところ、ここ数十年の私自身の経験から学んだことです。今日は3Eの持つ不思議な力を皆さんと共有したいと思います。では、始めましょう。

34年前のSSEAYPを振り返って

1981年、つまり34年前の私がSSEAYPに参加した時の写真をお見せしたいと思います。御覧のとおり、にっぽん丸は皆さんが乗船するものよりもずっと小さいですね。1981年にはASEAN加盟国はたったの5か国でした。インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、そして、タイです。当時、各国及び日本からは35名ずつ参加青年が参加していて合計210名でした。寄港国では多くの歓迎会に参加しました。これはバンコクの首相官邸で、インドネシア、マレーシア、フィリピンからの参加青年と私たちのホストファミリーです。文化紹介の練習も相当しました。(皆さんもきっとたくさん練習していますね。)私は「琴」という日本の楽器を演奏しました。同期の日本参加青年は日本舞踊の練習に励んでいました。船上では中身の濃い文化交流の夕べが行われました。様々な文化や習慣を理解する良い機会でした。

私の隣にいるのはマレーシアのキャビンメイトのジャネットです。私たちは34年間連絡を取り合っています。2002年に大きな国際会議のために数か月間クアラルンプールで仕事をしたときに、ジャネットは母親のように私の面倒を見てくれました。車で送ってくれたり、食事をさせてくれたり、クアラルンプールでやるべきことや、やらないほうがいいことなどの役に立つアドバイスをたくさんしてくれました。私は彼女の友情に本当に感謝しています。クラブ活動もありました。皆さんは船上でクラブ活動はありますか。あるのですね。私は空手クラブに入りました。私は(写真の)真ん中にいます。まじめそうでしょう。私たちはASEAN事務局も訪問しました。1981年にジャカルタでオープンしたばかりでした。まさか、25年後に自分がそこで働くとは想像もしていませんでした。

私が古い写真を皆さんに見せたのはなぜだと思いますか。私が船のプログラムを通じて様々な国から来た大勢の友達を作ったこと、そして、それが私にとって「共感」という感覚を育むのに役立ったということを皆さんにお伝えしたかったからです。他の二つのE、「経験」と「かかわり」については後でまた見ていきたいと思います。今は「共感」という言葉を覚えてください。

恩返しをしたいと思う

船のプログラムを終える時には、私は自分の立ち位置や自分がかかわる人々、そして自分の知識をもっと広げたいと思うようになりました。そのようなわけで、私はオーストラリアのキャンベラで国際法の勉強を続けました。(写真は)私のオーストラリア人のクラスメイトたちです。時々、私は農場でトラクターも運転しました。もちろん、遊びで乗っていただけですよ。

キャンベラでの勉強を終えてからも世界を旅することへの私の興味は尽きませんでした。日本にまっすぐ帰ることは全く考えませんでした。そこで、ASEANの国々のどこかで働けるよう国連機関に応募したのです。幸運にもUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に保護官、法務官として、1985年7月にバンコクの事務所に配属されました。このビルが、私が働いていた建物です。今は改築されてバンコクに新しいビルがあります。私は世界中から来た同僚と働くのが大好きでした。これは私のオフィスで、デンマーク人の上司とタイ人の秘書、カンボジア人の通訳です。もちろん、オフィスにいるよりも現場に出て、難民の人たちと話をする方が有意義で好きでした。難民は非常に困難な状況にあっても、この地球上のどこであろうと自らの将来を追い求めようという強い意志を持っています。タイの様々なキャンプで困難から立ち上がる強靭性について難民の人々から多くを学びました。

船のプログラムを通じて「共感」という感覚は身につけていましたが、様々な社会的、文化的な場面でその共感力をいかすための訓練が必要でした。オーストラリアで学んだこととバンコクのUNHCRでの最初の仕事のおかげで、悲観的になったり、不安感を抱いたりせずに、様々な社会的、文化的な状況に適応していくことができました。これは私の経験の一例です。詳しくは後でまた話しましょう。

「共感」を抱いて様々な社会的、文化的な状況を行き来して経験を積み重ねていくと、社会や世界に恩返ししたいと思うようになりました。私はこれを「かかわり」、または「決意」と呼んでいます。初めに私はSSEAYPに恩返しをしたいと思い、1990年にナショナル・リーダーとして日本青年を引率しました。その頃ASEANはブルネイを新メンバーとして迎えて6か国となっていました。私は船上で若い人々と経験や考えを共有することを楽しみました。(写真の)彼らは、私がナショナル・リーダーだったときの参加青年で、日本やその他の国でいまだに連絡を取り合っています。

ナショナル・リーダーの任務を終えた後も、私はASEANを離れることはありませんでした。タイを拠点にして東南アジアを旅し、カンボジア、ラオス、ミャンマーとベトナムがASEANのメンバーになるための協力に関与しました。この写真はベトナムがASEANに加盟して間もない1996年1月にハノイで実施した「AFTA」と呼ばれるASEANの自由貿易圏に関するセミナーです。1995年にベトナムがASEANに加盟し、1997年にはラオスとミャンマーもそれに続きました。カンボジアが10か国目の加盟国になった1999年には、悲願だった「ASEAN10」が実現しました。

1999年は私にとっても思い出に残る年です。私が現在働いている組織、国際協力機構(JICA)に移った年なのです。同僚と共にJICA-ASEAN地域協力会議、略してJARCOMを立ち上げました。これは日本とASEAN各国が地域での協力事業について話し合い、実行するための仕組みです。2008年、タイのスリン・ピッスワン博士がASEAN事務総長に就任した年、JICAとASEAN事務局が協力協定を締結し、いくつかのプロジェクトが始まりました。私はASEAN事務局の人々とかなり多くの議論を重ねてきました。SSEAYPから25年が経ち、またASEAN事務局へ戻ったのです。私はASEAN各国の大使との議論も楽しみました。彼らと仕事上良い関係を築けたのは大変幸運なことでした。

「ASEAN式」の仕事のやり方

とはいえ、JICA-ASEAN協力の点からすると、「ASEAN式」と呼ばれる物事の進め方には難しさを感じることもありました。ASEANには独自のルールとして不干渉主義でかつ満場一致の決議方法という「ASEAN式」のやり方があるのです。画期的なプロジェクトに対して、大使やASEAN事務局スタッフの承認を得て協力してもらうためには、「ASEAN式」との微妙なバランスを保ちながら、彼らと激論を交わしたこともありました。また、ASEAN事務局では「開発格差是正に向けてのレクチャーシリーズ」に協力する機会にも恵まれました。

息子をテロリストにしないために

私の仕事は、東南アジア域外へも拡大していきました。平和学の専門性をいかして平和構築にかかわり、イラク、アフガニスタン、スーダン、スリランカ、東ティモールといった紛争地域の政府職員や学者への研修を実施しました。

イスラエルとパレスチナへも平和構築研修とプロジェクトで3回訪れました。これはエルサレムの岩のドームの写真です。美しいですね。これはパレスチナ人の母親とその息子の写真で、私のお気に入りです。母親が母子手帳を持っているのが見えますか。これはきちんと健康を管理するために、母と子の健康状態を記録できるよう、日本が紹介したものです。

ある日、パレスチナのラマッラで一人の母親をインタビューしました。彼女はこの母子手帳をずっと取っておいて、息子が大きくなったら見せるのだと言うのです。どうしてですか、と私は尋ねました。この手帳を見れば、自分がどれほど両親から愛されてきたか、そして、今もなお愛されているということを感じるだろうから。そうすれば、自爆テロリストになったりしないだろうから、とその母親は言ったのです。私は彼女の切実な願いに胸を打たれました。これは、私の「かかわり」という感覚、「決意」という感覚を強固なものにした出来事の一つでした。

後に、私はスイス政府から和平調停のトレーニング・コースに招かれ、自分の能力を向上させることができました。私の平和構築の仕事でもっとも際立ったものは、マレーシア科学大学とミンダナオの合同平和セミナーを実施したことです。これは政府職員、MILF、そして非政府組織、学者と宗教指導者たちを一堂に集めて行われた、非公式な和平調停会合です。この写真は昨年、広島で行われた会議の様子です。これらの活動は全て私の「かかわり」という感覚から生まれたものです。これまで、私は1981年にSSEAYPに参加してから3E(empathy, experience andengagement)の感覚をいかに育んできたかをお話してきました。これらは皆さんが社会や世界で貢献について論じる際に役立つキーワードになると思うのです。

「共感」とは

それぞれの言葉について考えてみましょう。「共感(Empathy)」とは、理解すること、想像力を豊かにして他の人の感情の中に入っていくこと、あるいは、他の人の状況や感情、動機を認識したり、理解したりすることとも言えるでしょう。そうですね、(写真の中の)赤ちゃんにさえ「共感」という感覚があります。言い換えれば、他の人の立場に立ってみるということです。「共感」する力を育てる一番良い方法は、まずは友達を作ることです。例えば、ミャンマーに友達がいたら、2008年にナルギスのようなサイクロンがミャンマーを襲ったら、心配せずにはいられないでしょう。彼らを助けるために何かしたいと思ったことでしょう。それが「共感」です。もし、フィリピンに親しい友達がいたら、台風ハイヤン(又はヨランダ)がレイテ島を壊滅するのを見てパニックになったことでしょう。これが「共感」です。私自身、2011年の大地震と津波の後、世界中の友達からメールと電話をたくさんもらいました。それが「共感」というものです。皆さんはこのユースリーダーズサミットとSSEAYPの期間内に良い友達を作り、「共感」という感覚を養う機会があると思います。そのことはこれからの経験の機動力になると思うのです。

「コンテクスト(文脈)」を理解することの重要性

辞書によれば、経験とは、実際の出来事や活動からもたらされる知識や技能の積み重ねであると書いてあります。そこに私なりの意味を付け加えたいと思います。それは、様々な社会や国というコンテクストを理解し順応することです。オーストラリアのキャンベラで学生として様々な活動に参加したこと、UNHCRの職員として活動したおかげで、一般的には「コンテクスト」と呼ばれる異なる社会的、文化的背景への理解が深まりました。私は「共感」を用いて様々な高コンテクストや低コンテクストの社会に適応できるようになりました。

文化人類学者のエドワード・ホールによると、高コンテクストの文化において、コミュニケーションのルールは、主にボディ・ランゲージや人の社会的地位、声の調子といった文脈を包含する要素を用いることによって伝えられ、はっきりと言葉にして伝えられることはありません。これは、情報が主に言葉を通じてやり取りされ、ルールが全て詳しく説明される低コンテクスト文化とは正反対です。

例えば、日本はかなりの高コンテクスト社会だと考えられています。私は他の日本人とやり取りする際、すべてを言葉にする必要がありません。私たちはこれを、空気を読むという習慣だと考えています。これに対し、オーストラリアは低コンテクスト社会です。オーストラリアで学生だった頃、自分のことを分かってもらうためにかなり話をしなければなりませんでした。でも、国連はもっと大変だったのです。人種のるつぼで、あらゆる国籍の人がいて、コンテクストなるものは存在しないのです。とにかく話さなければなりませんでした。特に、ヨーロッパやアメリカの人と差し向かいで話をする場合には、声を大きくしたり、ジェスチャーを使ったりして話さなければなりませんでした。しかし、ひとたびバンコクの国連ビルから出ると、心のチャンネルを切り替え、国連とは異なるタイのコンテクストに合わせなければなりません。心を落ち着けて、優しいタイの人々と穏やかに話す必要がありました。難民キャンプに行けば、タイの社会とは異なるコンテクストが存在し、再度、私の心のチャンネルを切り替えなければなりませんでした。

あらゆる状況に適応するために

しかし、様々なコンテクストに合わせて心のチャンネルを切り替える際にはいつも「共感」の感覚が私を正しく導いてくれたのです。このようにして私はあらゆる社会や文化という状況に適応できるようになりました。こういったことは、様々な社会的、文化的な状況に対応する際に皆さんにもやっていただきたいことです。これが外国文化にのみ有効だというつもりはありません。身近な状況にも役に立つのです。弱い立場の人々というコンテクストに合わせて心のチャンネルを切り替えると、また違った景色が見えてくることでしょう。「共感」や「経験」が「かかわり(engagement)」という感覚をもたらすはずです。「かかわり(engagement)」には、たくさんの意味があります。でも、ここで私が強調したいのは、社会や世界の一員として、献身的な態度、責任感、他の人のために喜んで何かをしたいという気持ちのことです。私の写真をお見せしましたが、何かお返しをしたいという私の思いは、SSEAYPのナショナル・リーダーであったり、日・ASEAN協力であったり、平和構築といった形になって表れました。いずれ、皆さんも社会や世界に貢献したいという強い願いを持つことでしょう。この点については後ほどお話しましょう。

恵まれているからこそすべきことがある

「共感」、「経験」、「かかわり」について話してきましたが、理解しておくべきもう一つの重要な感覚について付け加えます。それは「ノブレス・オブリージュ」というものです。これはフランス語ですが、英語では「ノーブル・オブリゲイション(高貴なる者は義務を負う)」といいます。「ノブレス・オブリージュ」のもともとの定義は、身分や社会的地位が高く、裕福な者は、身分が低く、貧しい人を助け、寛大でなければならないという19世紀の考え方から来ています。今日、この定義は皆さんにも当てはまります。皆さんは健康で、非常に良い教育を受け、ユースリーダーズサミットに参加しています。皆さんの前途には明るい未来があります。つまり、皆さんは恵まれていて、困っている人々に何かしてあげる義務があるということです。皆さんが世の中をより良くしないのであれば、誰がするのでしょうか。皆さんです。他の誰でもなく、皆さんこそが世の中を良くするのです。このことを覚えておいてください。(会場から拍手)約束してくれるのですか。どうもありがとう。

三つのレベルで私たちにできること

それでは、三つのEの恵みと、「ノブレス・オブリージュ」という感覚と共に、本日の皆さんのディスカッション・テーマ「青年の社会活動への参加 ~だれもが共生できる社会を創るために、青年としてあなたができることは何ですか?~」について考えていきましょう。このテーマは三つの異なったレベルで話し合えるかもしれません。主に、国内、アセアンと日本、そして世界です。まず、国内から始めましょう。どの国も所得格差、教育を受ける機会に恵まれないこと、不十分な医療といった社会的な課題を抱えています。皆さんもいろいろ例を挙げることができるでしょう。高齢者、子供、少数派の人々、場合によっては女性といった社会的弱者がいつも世間から疎外されています。この場合、特に最も弱い人々のことを考え、積極的に皆さんのレベルでできることに取り組んでください。今日、様々な文化的、社会的背景を持つ皆さんの友人たちから問題を解決する方法を学べるかもしれません。

では、次のASEANと日本のレベルに進みましょう。ASEANは統合と連結を目指しています。ASEANは本年末までに単一の市場を創設することによって、経済統合を達成しようとしています。ASEANは、また、インフラの連結性に焦点を当てた「ASEAN連結性(コネクティビティ)」と呼ばれる取組を開始しました。大規模インフラプロジェクトや経済統合プロジェクトはASEAN政府に委ねることができますね。政府の方がこうした取組は得意でしょうから。

しかし、皆さんにとってより重要なのは、ASEAN加盟各国において人々を統合し、連結させることに注力することです。こういった点に関し、何ができるでしょうか。これは本日の話合いのもう一つのポイントになるでしょう。皆さんはこのユースリーダーズサミットやSSEAYPで学んだことを帰宅してから他の人と共有し、ASEAN親善大使になることができます。私が提案したいのは、船事業の事後活動組織が10の加盟国にあるネットワークを活用してASEAN協力にいっそう積極的に取り組むことです。日・ASEAN協力という観点ではどのようなことができるでしょうか。日本とASEAN各国のライフスタイル、ボランティア、高齢化社会などお互いが学び合えるような共通の関心事がたくさんあるにちがいありません。ボランティアの交流というアイディアもいいかもしれません。SSEAYPの事後活動組織や友人たちと連絡を取り合って、学びを新たにしていくことも大切です。このようにして、ASEAN各国や日本の友人たちと話し合った計画を実行する機会が得られるでしょう。

最後は、世界レベルです。私たちは皆、同じ船に乗っていて、環境、病気、紛争、難民、テロといった問題を無視することはできませんし、これらマイナスの要素を和らげるために何ができるかを考えなければなりません。皆さんのレベルでできることをするのです。恐れずに小さなことから始めてください。大切なのは、世界規模の問題を自分自身の課題として関心を持つことなのです。日本のことわざにもありますが、それらは対岸の火事ではないのです。

皆さんにはもう一度このスライドを見ていただきます。皆さんは、私が三つのレベルで示した課題や問題に取り組むべき人々であることを思い出してください。私の講演を終える前に、誇りをもってこの最後の写真をお見せしましょう。1981年のSSEAYPは30周年の同窓会を2012年にシンガポールで実施しました。(会場から拍手)どうもありがとう。これまでの日々、私たちは「共感」、「経験」、「かかわり」という感覚を抱きながら連絡を取り続けてきたのです。だからこそ、私たちは大きな成果として「友達」という名の財産を得ることができたのです。ありがとうございました。

一般財団法人 青少年国際交流推進センター主催


国際理解教育支援プログラム

一般財団法人青少年国際交流推進センターでは、日本の学校等に内閣府青年国際交流事業に参加をした経験がある在日外国青年等を講師として派遣し、国際理解教育支援プログラムを行っています。平成27年度は7回実施しました。

第7回
日付 平成28年1月28日(木)
実施先 大田区立羽田小学校
担当者 髙橋伸枝先生
対象 4年生(55名)
テーマ 外国人講師と交流し、異文化への理解を深める
プログラム
  • 講師が母国の基本情報、民族、文化などを話し、児童の質問に答える
  • 講師がマレーシアの歌「Rasa Sayang」を教える
派遣講師 Ms. Sheue Li, Ong(マレーシア)
マレーシアの講師が母国の基本情報や文化について話し、児童の質問に答える
実施校の感想
大田区立入新井第五小学校教諭 久志本 彩加(4年担任)

本校は、教育研究推進校として国際理解について研究を進めてまいりました。今回は、(一財)青少年国際交流推進センターを通じて外国人講師をお招きして、講師の母国である「マレーシア」の文化や生活についてのお話を伺いました。当日は、1名の講師に、1組、2組それぞれのクラスに同じ内容のお話をしていただき、各クラスから出た質問に答えていただくという流れでした。講師のシェリーさんは明るく笑顔がすてきな方で、母国を誇りに思う気持ちに溢れていました。子どもたちはマレーシアという国名は聞いたことがあっても、国の場所や日本との違いなど、マレーシアの文化に触れることが初めてだったので、とても新鮮だったようです。1時間、興味をもって楽しそうにお話を伺う姿が印象的でした。事前に用意していただいたマレーシアに関するパワーポイントを見ながら、英語でお話する講師。時折、子どもたちが英語が分からない時は、日本語に訳しながら丁寧に説明してくださいました。

今回、私は初めてこの国際理解教育支援プログラムを担当しまし たが、とてもすばらしい交流だと思いました。普段、直接関わることのない国の文化を知り、日本との違いに気付き、その場で聞きたいことを質問することができる魅力があり、子どもたちにとって良い経験になったと思います。

授業を終えて、子どもたちに授業の感想を聞くと、「マレーシアに行きたい気持ちが高まった」「他の国の文化について、自分から調べてみたい」「講師の好きな食べ物であるドリアンを食べてみたい」「マレーシアで日本のアニメが人気ということに驚いた」など、思い思いの感想を聞くことができました。

普段の授業ではなし得ない交流を、(一財)青少年国際交流推進センターにお手伝いいただき実践することができたことに心から感謝申し上げます。子どもたちにとって貴重な機会をありがとうございました。

≪プログラム実施の流れ≫
実施までの日数や状況によっては、上記の基本的な流れとは異なる手順で実施することもあります。
大田区立羽田小学校(平成26年度実施)
大田区立入新井第四小学校(平成26年度実施)

国際理解教育支援プログラムでは、外国人講師が児童に外国文化を教える授業を実施するだけでなく、児童が日本文化等を外国人講師に英語で伝える授業なども実施しています。

一般財団法人青少年国際交流推進センターでは、独自事業として国際理解教育支援プログラムを推進しています。小中学校、高等学校、その他様々な団体からの依頼に応じて、プログラムを実施しております。プログラムの実施に興味がある方は、お気軽に当センターまでお問い合わせください。
◆問合せ先 国際理解教育支援プログラム 担当:大久保 正美
E-mail: iuesp@iyeo.or.jp Tel: 03-3249-0767

日本・中国青年親善交流事業(第36回)(招へい)

11月10日~ 21日の日程で29名の中国青年(団長等含む)が来日しました。10日~12日の東京プログラムでは高木宏壽内閣府大臣政務官主催による歓迎会が行われ、東京臨海広域防災公園そなエリア東京や裏千家東京道場、早稲田大学訪問、業種別交流会が実施されました。

地方プログラムでは、函館市と群馬県を訪問しました。函館市では、ホームステイや地元青年との意見交換を行い、群馬県では、太田市での富士重工業株式会社矢島工場視察後、桐生市での着物着付け体験や電動バスを使用した市内視察を行いました。その後、草津町内視察、富岡製糸場視察等も行いました。20日には、グーグル株式会社視察、歓送会を行い全てのプログラムが終了しました。

月日 日程
11月10日(火) 来日・オリエンテーション
11月11日(水) 東京臨海広域防災公園そなエリア東京視察
裏千家東京道場にて茶道体験
高木宏壽内閣府大臣政務官表敬(代表者のみ)
高木宏壽内閣府大臣政務官主催歓迎会
11月12日(木) 早稲田大学訪問
業種別交流会
テーマ:「公務員の育成」、「ニューメディアの活用と今後の展開」、「青少年団体の現状と今後の展開」
夕食交流会
11月13日(金) 地方プログラム【函館市】
函館山ロープウェイ、元町教会群、旧函館区公会堂、函館アリーナ視察
本吉勲函館市企画部次長表敬(代表者のみ)
歓迎会(ホームステイマッチング)
11月14日(土) <団員>ホームステイ
<団長、副秘書長>金森倉庫群、大沼公園、昆布館、蔦屋書店視察
11月15日(日) <団長・副秘書長>朝市視察
<全員>ホストファミリーとの昼食交流会、五稜郭公園、五稜郭タワー視察
ボランティア青年との意見交換会
11月16日(月) <希望者のみ>函館市水産物地方卸売市場視察
羽田空港に戻り、バスにて群馬県へ
地方プログラム【群馬県】
反町敦群馬県副知事表敬訪問
11月17日(火) 富士重工業株式会社 矢島工場視察・意見交換
着付け体験と桐生市内視察
歓迎会
11月18日(水) 草津町内視察(湯畑、西の川原、湯もみショー視察)
11月19日(木) 富岡製糸場視察
バスにて東京へ
懇談会(代表者のみ)
11月20日(金) グーグル株式会社視察
石原一彦内閣府審議官主催歓送会
都内視察
11月21日(土) 帰国
函館市ホストファミリー
佐々木 隼

ホストファミリー初体験の我が家にとって、海外の生活習慣を知ることができ、大いに勉強になった。受け入れた青年と歴史や生活様式の違いについて意見交換をすることもでき、理解を深め合えたと感じている。今後、国際交流をする機会が増えていくことを考えると、非常に良い経験をさせていただいた。機会があれば、ホストファミリーとしてまた外国青年を受け入れてみたいと思う。(報告書より抜粋)

受入実行委員会
群馬青友会会長 青木 優子

事業実施後、会員同士のつながりが密になり、地元関係者とのつながりも広がったと感じています。会員外のボランティアの一人は、国際交流という場面に初めて接し、自分に何ができるのかを改めて考えた結果、地元の大学に通う留学生が十分な学習成果を収められるように協力支援するボランティアに登録したそうです。

今後、このつながりを大切にし、会として様々な活動に取り組みたいと思っています。(報告書より抜粋)

高木宏壽内閣府大臣政務官に扇を贈る
常青中国青年代表団団長
早稲田大学を訪れ、学生と交流する
ホストファミリーと共に(函館市)
地元青年と意見交換する(函館市)
反町敦群馬県副知事を表敬訪問する(群馬県)
世界遺産である富岡製糸場を訪れる(群馬県)

第29回日本・韓国青年親善交流事業(招へい)

本事業は、日本と韓国の青年相互の理解と友好の促進を図ることを目的とし、日本政府と韓国政府の共同事業として両国の友好を象徴し、昭和62年度から実施されています。

事業は日本青年の韓国派遣と韓国青年の日本招へいで構成され、派遣事業は9月に実施、招へい事業は10月27日~ 11月10日の日程で行われました。

韓国招へい青年27名(団長1名、副団長2名、通訳2名及び団員22名)は、東京、宮城県、鳥取県を訪れ、各種課題別視察での企業等への訪問を始め、地元青年との交流やディスカッション、ホームステイ等を行いました。また、10月30日~ 11月1日に行われた「日韓青年親善交流のつどい」では、韓国青年27名と日本青年27名が一堂に会し、レクリエーションやディスカッション、日韓文化披露等の交流を通じ、両国の青年の友好を深めました。

月日 日程
10月27日(火) 来日・オリエンテーション
10月28日(水) <課題別視察>裏千家東京道場訪問、東京臨海広域防災公園訪問
高木宏壽内閣府大臣政務官表敬訪問、内閣府主催歓迎会
10月29日(木) <課題別視察>株式会社JALスカイ訪問、江戸東京博物館訪問
10月30日(金)
10月31日(土)
11月1日(日)
日韓青年親善交流のつどい(埼玉県入間郡「ニューサンピア埼玉おごせ」)
11月2日(月) 宮城県庁表敬訪問、青葉城跡見学、歓迎会
11月3日(火) 地元青年との芋煮交流
11月4日(水) 石巻日和山視察、宮城県水産高校訪問、松島視察
11月5日(木) 平井伸治鳥取県知事表敬訪問、歓迎会
11月6日(金) 公立鳥取環境大学訪問、鳥取砂丘ジオツアー、ホームステイ・マッチング
11月7日(土)
11月8日(日)
ホームステイ
11月9日(月) <日韓国交正常化50周年記念プログラム(日韓青年による意見交換会)>
テーマ:日韓両国の青年に今できること~文化交流による友好促進のために~
内閣府主催歓送会、日本青年との都内視察
11月10日(火) 評価会、帰国
防災グッズの取扱方法と緊急時の対処について説明を聞く
(東京臨海広域防災公園)
自己紹介をしながら緊張をほぐす
(日韓青年親善交流のつどい:アイスブレーキング)
日本青年からあやとりを教わる
(日韓青年親善交流のつどい:日韓文化体験祭り)
韓国伝統の扇の舞を披露する
(宮城県歓迎会)
鳥取県の伝統芸能である「因幡の傘踊り」を一緒に踊る
(鳥取県歓迎会)
「日韓両国の青年に今できること~文化交流による友好促進のために~」をテーマに意見交換する(日韓国交正常化50周年記念プログラム)

平成27年度内閣府青年国際交流事業

航空機による青年海外派遣報告会

平成28年2月7日(日)、国立オリンピック記念青少年総合センターにて、平成27年度内閣府青年国際交流事業 航空機による青年海外派遣報告会を実施しました。参加青年、来場者、関係者を合わせ、合計250名規模での報告会となりました。

本年初めての取組である事業紹介では、他の事業や留学とは何が違うのかという視点から内閣府青年国際交流事業ならではの魅力を各自の体験を基に発表しました。また、パネルディスカッションでは、この事業から得られた体験を次のステップにどのようにいかしていくのか、また、自分はどんな点で成長できたと感じたのか等が語られました。

参加青年がいきいきと自分の言葉で語る姿に感銘を受けたという感想が数多く寄せられました。

プログラム
時間 内容
13:00 開会式
13:15 報告会概要紹介
13:25 内閣府青年国際交流事業紹介
13:40 各派遣団成果発表
14:15 休憩
14:25 パネルディスカッション
15:05 平成28年度内閣府青年国際交流事業
説明及び募集について
15:25 ブースの見どころ紹介
15:35 休憩
15:45 各派遣団等ブース展示
16:45 閉会式
内閣府青年国際交流事業紹介で
本事業の魅力について話す発表者
各派遣団発表で団のスローガンについて説明する
ドミニカ共和国派遣団の参加青年
パネルディスカッションで各自の体験や学びについて語るパネリスト
訪問国活動での成果について発表する韓国派遣団の参加青年
中国派遣団のブースを訪れ、展示物を熱心に見る来場者
ブースを訪れた来場者に派遣国について説明する
カンボジア団の参加青年
ブースを訪れた来場者に自身の体験を話す
ラトビア団の参加青年
  • 参加者アンケートからの抜粋
  • どのブースも展示物、写真など工夫されていて、楽しかったです。各ブースの派遣団員もハキハキと元気に明るく対応してくださり、参考になりました。(20代、女性)
  • 普段行けない外国の話を直接行った人から聞けたのが良かったです。多くのことを学べました。(10代、女性)
  • 言葉に実体験が伴っていて、皆さんの前向きな意思が随所に見られてすばらしかったです。(20代、女性)
  • それぞれがこの事業の意義を理解し、これからの活動の指針にしていくことが感じられ、とても良かったです。(40代、男性)
  • 体験されたこと、感じたことを知ってほしいという強い思いを感じられる報告会でした。(50代、女性)

第42回「東南アジア青年の船」事業報告会

平成28年2月21日(日)、国立オリンピック記念青少年総合センターにて、第42回「東南アジア青年の船」事業報告会を実施しました。当日は4か国の大使館、一般参加者及び参加青年、関係者を合わせ、合計210名が報告会に出席しました。

日本国内活動や訪問国活動、船内活動について説明する参加青年
プログラム
14:00 開会式
14:15 「東南アジア青年の船」事業概要説明
14:40 パネルディスカッション
15:45 平成28年度内閣府青年国際交流事業募集説明
16:15 展示・質問コーナー
17:15 閉会式
御挨拶(抜粋)
開会式で挨拶する武田有人実行委員長
第42回「東南アジア青年の船」事業報告会実行委員会 実行委員長 武田 有人

本報告会のテーマは「挑戦は面白い。だから挑戦し続ける。」です。事業を通して、私たちは多くの東南アジアの仲間と出会いました。彼らが失敗を恐れず新しいことに挑戦する姿を見て、仲間の失敗を気にせずにどんなときも応援してくれる優しさに触れて、私たち日本参加青年は一人一人異なった挑戦をしました。「300人を前に英語でプレゼンテーションをした」、「日本酒のおいしさを伝える企画を外国参加青年に対して行った」、「一人でも多く海外の友達を作ろうとした」などどんな些細なことでも勇気を持って挑戦することで初めて分かることがあるということ、そして、挑戦の先に自信や達成感を得た新しい自分がいることを知りました。各日本参加青年が行った挑戦と、挑戦による変化をこの報告会で知っていただければ幸いです。

安田貴彦内閣府青年国際交流担当室長挨拶
来場者の質問に答える参加青年
パネルディスカッションで、各自が挑戦したことを発表する参加青年
参加青年が取り組んだ活動と挑戦を紹介
訪問国での活動とエピソードを展示で紹介

内閣府青年国際交流事業 事業説明会

平成27年度実施報告

説明会ポスターの
サンプル

内閣府青年国際交流事業を広報するため、首都圏の大学を中心に「事業説明会」を実施しました。平成27年度は4月18日(土)から平成28年1月29日(金)にかけて20か所で開催し、合計531名が参加しました。

今年度から新たな試みとして、ブロック大会前日などに地方都市5会場においても地元IYEOと協力して説明会を実施することができました。

内閣府担当者からの事業説明の後、既参加青年は、応募の動機や事業に参加して得られたものを今後どのようにいかしたいか等を語りました。応募を検討している学生は、熱心に説明を聴き、参加条件などの具体的な内容について質問していました。

内容 時間
1 内閣府担当者からの事業概要説明 15分
2 事業既参加者の体験談発表(2名)
  • 船による海外派遣事業既参加者の報告
  • 航空機による海外派遣事業既参加者の報告

10分
10分
3 内閣府担当者からの平成27年度募集事業概要説明 10分
4 質疑応答&事業ごとに分かれて懇談会
(既参加者や担当者を交えて質疑応答)
30分
航空機による海外派遣事業(ラトビア派遣団)団員による
派遣体験報告(中央大学)
懇談会で熱心に質問する説明会参加者(獨協大学)
平成27年度実施先一覧
月日 会場
4月18日(土) 早稲田大学(早稲田キャンパス)
6月18日(木) 上智大学(四谷キャンパス)
7月10日(金) 鹿児島県(鹿児島県青少年会館)
7月17日(金) 弘前大学
11月18日(水) 早稲田大学(早稲田キャンパス)
11月19日(木) 玉川大学
11月26日(木) 青山学院大学(青山キャンパス)
11月27日(金) 石川県(石川県国際交流センター)
12月1日(火) 津田塾大学(小平キャンパス)
12月2日(水) 獨協大学
12月3日(木) 内閣府
12月4日(金) 鳥取大学
12月10日(木) 中央大学(多摩キャンパス)
12月14日(月) 立教大学(池袋キャンパス)
明治学院大学(横浜キャンパス)
2月16日(水) 立教大学(新座キャンパス)
創価大学(八王子キャンパス)
平成28年
1月13日(水) 内閣府
1月22日(金) 多摩大学(多摩キャンパス)
1月29日(金) 愛知県(あいちNPO交流プラザ・ウィル)

青少年国際交流を考える集い(ブロック大会)

東海ブロック大会

期 日 平成28年3月12日(土)~13日(日)
会 場 名古屋教育センター教育館講堂(愛知県名古屋市)
テーマ グローカルな挑戦者達
~地域リーダーの生き方・あり方から学ぶ、グローカルな活動の実践~
船橋康貴氏による基調講演
船橋康貴氏による基調講演分科会①
教育でワークショップを行う井上淳之典氏
1日目 3月12日(土)
13:30 開会式
13:45 講演「ミツバチで世界平和を」
講師:船橋 康貴(一般社団法人 ハニーファーム代表理事)
15:00 分科会
①教育「いのちの本然に向かう教育」
②地域「外国人から見た愛知県の離島とその魅力」
③内閣府青年国際交流事業報告会
18:30 懇談会
2日目 3月13日(日)
9:00 多世代交流ワークショップ
11:00 閉会式
11:30 地域理解研修
①名古屋市市政資料館 映画撮影現場&フェアトレードカフェ
②下水道科学館 ~名古屋のもう1つの科学館~
③名古屋食べ歩きツアー ~お腹いっぱい名古屋ツアー~

工夫した点(実行委員会からのコメント)

  • 多世代交流ワークショップを入れて、多世代が対話したり、交流したりできる場を作った。懇談会では、今年度既参加青年がチーム戦のゲームを通して、交流するきかっけを作り、交流を促した。
  • 県内、全国、SWYのメーリングリストへそれぞれ個別のメールを流し、昭和55年度以前に事業に参加された方には直接電話で連絡した。

参加者の声

  • 基調講演の講師が地元に強く、かつ人間性に魅力があって、話に引き込まれた。
  • 分科会では、普段できないような経験ができた。
  • チラシがよくできていたので、参加したいと思った。テーマも魅力的だった。
  • ワークショップで多世代のいろいろな事業の方と交流できてよかった。
  • 交通の便の良いところで参加しやすかった。

参加者数:82名

第3回「青年の船」46周年「復興支援」の岩手大会報告
実行委員長 佐々木隆義

宮沢賢治の故郷、陸奥の地、岩手県花巻温泉を主会場に平成27年11月8日~ 10日まで2泊3日で開催されました。参加者は全国から会員・家族を含め103名と大勢の方々にお集まりいただきました。

式典は物故者の追悼、実行委員長の歓迎挨拶、椎野孝一会長の挨拶、小玉正任管理官のビデオメッセージに続き、草川一枝教官の「講演」に感動して涙を流す者が続出。

乾杯後は、郷土芸能の鹿踊り、会員参加のアトラクションと賑やかに進み、2年毎に開催される全国大会の次期開催地を「香川県に決定」し、初日はお開き。

2日目は世界遺産「平泉中尊寺」へ。オプショナルツアーに参加の79名は20班の菊地憲野さんがオーナーの「ステーキハウス パイオニア牧場」で豪華ランチに舌鼓を打ち、その後、大震災を受けた三陸海岸に向け出発。バスの車中では大震災の映像が映し出され、その悲惨さに驚くとともに全員で鎮魂の祈りを捧げました。陸前高田で奇跡の一本松に手を合わせ、大船渡市・釜石市を北上して宿泊地の宮古市へ。この夜も交流会は大盛り上がり、大トリは「青年の船の歌」を皆で合唱、つないだ手と手の輪・組み合った肩の揺れは、まさに「青春そのもの」、よみがえる数々の思い出に青いレモンの味も?!・・・。

最終日は浄土ヶ浜の早朝散策に始まり、「龍泉洞」を探検・盛岡で「石割桜」を眺め、昼食は「わんこそば」で大食い大会と、盛りたくさんの日程を仲良く・和やかに過ごしました。そして、「復興支援の一助に!」と実行委員会の企画した「三陸わかめお土産大作戦」に賛同し、「三陸わかめ」を両手いっぱいに抱えながら「香川大会」での再会を誓い合い、散会しました。

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