国際青年交流会議は、平成6年度に皇太子同妃両殿下の御成婚を記念し開始された国際青年育成交流事業の一環として開催される青年たちのための会議です。
この会議は、国際青年育成交流事業により海外に派遣された日本青年及び海外から日本に招へいされた外国青年等が一堂に会し、青年の社会参加を共通テーマとし、環境、教育、文化の各分野についての討議を行うことにより、青年の社会参加への意識を高め、社会活動を促し、もって参加青年の育成と国際社会の一層の発展に資することを目的として実施されています。
国際青年交流会議は、カンボジア王国、ドミニカ共和国、エジプト・アラブ共和国、ラトビア共和国、モザンビーク共和国、パプアニューギニア独立国の6か国から招へいされた55名の外国参加青年等と、9月にカンボジア王国、ドミニカ共和国、ラトビア共和国に派遣された日本参加青年等47名を対象に、9月23日〜25日の日程で合宿形式のディスカッション・プログラムを実施しました。参加青年は三つのコース(環境、教育、文化)に分かれ、課題別視察やコースごとのディスカッションに参加しました。
外国参加青年は9月26日(土)~ 10月4日(日)、3グループに分かれて地方プログラムに参加しました。カンボジアとパプアニューギニアの青年は、石川県と富山県を、ドミニカ共和国とモザンビークの青年は、山口県と大阪府を、エジプトとラトビアの青年は、沖縄県と香川県を訪問しました。石川県、山口県、沖縄県では地元青年との2泊3日のディスカッション・プログラムに参加し、富山県、大阪府、香川県ではホームステイを体験し、各家庭で温かく迎えられました。
今年度の受入れでは、地元の新しい魅力を三つ発見することができました。
まず、ディスカッションの課題別視察です。お世話になる施設へ事前に説明を聞きに行った時、石川県に住んでいてもなかなか聞くことのない説明を聞くことができました。ディスカッションの内容を考えながら担当者の方に質問していくことで、金沢市がどのような取組を行っているのか、また、そこで働く方がどんな思いや理想を掲げているのかについてお話を伺うことができました。そのことは、ディスカッションのテーマとして、また、当日の視察では話題提供として、いかすことができたのではないかと思っています。
次に、IYEO会員との出会いです。毎年、数名が石川県からも派遣されていますが、タイミングが合わず一緒に活動できなかった会員数名と連絡が取れ、新しい出会いとなりました。派遣事業が違うことで、それぞれが体験したことを改めて交換し合ったり、今の生活や仕事の話で盛り上がったりし、地元での新しい世界が広がったように感じます。また、毎年、受入れのたびに、今は石川県に住んでいなくても県外から駆けつけてくれるメンバーの存在も心強く、温かいものです。
最後に小学校訪問では、個人的ではありますが、前任校へ青年たちを案内することができました。青年たちを期待にあふれた表情で迎えてくれた姿、見送りではアーチを作り、校門の外まであふれるほどお別れに来てくれた姿、どの子もキラキラと輝く表情だったのが印象的です。未来ある子供たちによい機会を作ることができたと感じました。
今年度も貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。
私は1年間イギリスに留学していたことと、かねてから異文化交流に興味があったことから、このプログラムに参加しました。モザンビークとドミニカ共和国は私にとってあまり馴染みのない国で、参加者と仲良くなれるか、楽しみよりも不安な気持ちが勝っていました。
初日は、各国の参加者が皆緊張しており、互いになかなか一歩が踏み出せずにいましたが、オリエンテーションとゲームを通じて、すぐにその緊張は緩和されていきました。夜の歓迎会では司会進行役を務めさせていただき、通訳の方のサポートもあり、問題なく進行することができたので安心しましたが、日本語と英語の微妙なニュアンスの違いを自分でうまく表現できないことに歯がゆさを覚えました。
二日目は吉田松陰についての講義を聴き、ディスカッションとプレゼンテーションを行いました。3か国でディスカッションするにあたり、ここでは正解の追求よりも意見を出し合うことに意義があるのだと感じました。本気で対立し本気で議論しても、後の自由時間では楽しく談笑することができ、親睦が深まりました。
三日目は萩市訪問に帯同しましたが、これは何?と彼らが抱く疑問に、知識不足で答えることができず、申し訳ない気持ちになりました。
グローバル化が加速する今日、国際感覚を養うためと英語力の補強が重要視されがちですが、私は今回の経験から、最も大事なのは自国のことを堂々と説明できるだけの知識と、たとえ英語に自信がなくても自分の考えを自分の言葉で伝えようとする積極性だと感じました。
ホームステイを打診され快諾したものの、ラトビアの30歳の女性リーダーと聞き、私のような年配男性と話題が合うか、また英語を話せるか危惧しましたが、受入れと同時に心配事が払拭されました。ブルーナさんは、政治、経済、教育、宗教や異文化とどんな話題にも精通し、特に子供の教育に興味を示したのが印象的です。ヨーロッパの懸案となっている事柄にも真摯に取り組んでいる姿が見られました。私が感動したのは、彼女が否定的な見解を示すことなく、積極的に明るく若者なりに解決しようとする姿勢です。家内は、会話の内容はよく分からなくても、立て板に水が流れるごとく自分の主張や考えを述べる姿に感心したようです。
ラトビア人が英語を話せるか不安でしたが、英語が流ちょうなのに正直驚きました。ブルーナさんの他に大学生二人に英語教育について聞いたところ、共通していたのは英会話をマスターするのに映画の字幕やアニメーションを活用していることで、小学校1年生から英語を選択したそうです。人口200万人ほどのラトビアですが、日本の英語教育と比較すると隔世の感がありました。
私は外国旅行を控える時期だと思っていましたが、ラトビアへの関心が高まり、再度外国旅行を視野に入れてみようと思いました。ヨーロッパと日本は地理的には遠いですが、今回のホームステイでまるで隣国から知人を迎えたような気がします。ほんの三日間で我が家に「若さ」「情熱」をいただいたように感じます。
「東南アジア青年の船」事業は、昭和49年に、日本とASEAN(東南アジア諸国連合)加盟国による共同事業として発足し、その後、毎年実施され、今回で42回目を迎えます。この事業には、現在、ASEAN10か国と日本が参加し、船内及び訪問国において各種の交流活動を行うことにより、日本及び東南アジア諸国の青年相互の友好と理解を促進し、青年の国際的視野を広げ、国際協調の精神のかん養と国際協力における実践力の向上を図り、もって国際化の進展する社会の各分野で指導性を発揮することができる青年を育成するとともに、青少年健全育成活動に参加青年が寄与することを目的としています。
「東南アジア青年の船」事業の国内プログラムの一環で、平成27年10月31日(土)~11月3日(火)に「日本・ASEANユースリーダーズサミット」が開催されました。日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)各国及びASEAN各国相互の連携を強化するために、より多くの青年が日本とASEAN各国を結ぶネットワークに参加することを目的として、駐日ASEAN各国大使館及び国際機関日本アセアンセンターと連携して行われるディスカッション及び文化交流を中心とした合宿型プログラムです。
11月2日には、駐日ASEAN各国大使館及び国際機関日本アセアンセンターの代表者に加え、約110名の一般来場者を迎えて、開会式、パフォーマンス披露、各国展示が行われました。
この4日間のサミットには、日本で公募されたローカルユース105名、「東南アジア青年の船」事業の参加者322名及び実行委員や運営関係者約100名が参加しました。
また、3日には本事業の既参加青年であり、過去にナショナル・リーダーも務めた石川幸子氏(JICA国際協力専門員)による基調講演が行われました。その後、参加青年はグループに分かれ、ディスカッション活動に取り組みました。
第42回「東南アジア青年の船」事業は、10月27日に外国参加青年322名(ナショナル・リーダー含む)及び各国ホストファミリー代表者が来日し、開始されました。なお、各国ホストファミリー代表者は日本の家庭でのホームステイ等を行ったのち、10月31日に帰国しました。
月日 | 日程 |
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10月27日(火) | 日本参加青年出航前研修(10月24日より)、外国参加青年来日 |
10月28日(水) | オリエンテーション、参集式、歓迎レセプション |
10月29日(木)~11月1日(日) | 秋篠宮眞子内親王殿下御引見(代表者のみ) 地方プログラム(山形県、福島県、茨城県、新潟県、愛知県、島根県、愛媛県、佐賀県、長崎県、熊本県、北九州市) |
10月31日(土)~11月3日(火) | 日本・ASEANユースリーダーズサミット |
11月4日(水) | 総理表敬(代表者のみ)、課題別視察(下記詳細あり)、乗船(東京・晴海) |
11月5日(木) | オープンシップ、出航式、出航 |
月日 | 寄港地 |
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11月5日 | 東京(出航) |
11月11日~14日 | マニラ(フィリピン) |
11月17日~21日 | ホーチミン(ベトナム) |
11月18日~20日 | ビエンチャン(ラオス)代表団の訪問 |
11月26日~29日 | ヤンゴン(ミャンマー) |
12月5日~8日 | コタキナバル(マレーシア) |
12月15日 | 東京(帰港) |
コース名 | 視察先 |
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青年の起業 | 株式会社a.school |
異文化理解促進 | 裏千家 |
環境 (自然災害と防災) |
防災体験型施設 そなエリア東京 |
(一社)防災教育普及協会 事務局長による講話 | |
食育 | 株式会社タニタ総合研究所 |
保健教育 (HIV/AIDS対策) |
ぷれいす東京 |
特定非営利活動法人akta | |
国際関係 (日・ASEAN協力) |
国際機関 日本アセアンセンター |
特定非営利活動法人開発教育協会によるワークショップ | |
学校教育 | 品川女子学院 |
情報とメディア | YouTube Space Tokyo |
「学ぶ意欲」「学び続ける力」を育む探究・創造型学習塾。
小中高生の「学ぶ意欲」「学び続ける力」を育み、未来を自ら切り拓いていくための深い学力や生き抜く力を伸ばしていく学習塾。教科横断型の授業「探究・創造ラボ」と、知識だけでなく考える力・学ぶ力の育成に力を入れた「英語」「数学」の授業を行っている。(ウェブサイトより)
平常時には防災学習施設のある都市公園として、災害発生時には首都圏広域の現地対策本部として機能する。国土交通省と東京都が分担し、本部棟・ヘリポートを含む北側6.7 haを国営公園(正式名称「国営東京臨海広域防災公園」)、南側6.5 haを都立公園として整備している。また、本部棟には内閣府が所管する防災拠点施設が設置されている。(ウェブサイトより)
教育目標:私たちは世界をこころに、能動的に人生を創る日本女性の教養を高め、才能を伸ばし、夢を育てます。(ウェブサイトより)
参加青年は10月29日~ 11月1日、11のグループに分かれて山形県、福島県、茨城県、新潟県、愛知県、島根県、愛媛県、佐賀県、長崎県、熊本県、北九州市を訪問しました。訪問先では、表敬訪問、ローカルユースとのディスカッション、施設訪問や日本文化体験を行いました。また、ホームステイでは、日本の日常生活を体験しました。
私が参加したのは国際青年育成交流事業だったので、「東南アジア青年の船」事業について知ることから始めました。何度も不安を感じましたが、最終的には実行委員の方々に支えられて無事終了することができたことに本当に感謝しています。
ローカルユースやホストファミリーの方々が参加青年と仲良く話しているのを見ると、羨ましさもありましたが、自分のしたことが役に立ったのだという実感を得ることができました。また、「東南アジア青年の船」事業の既参加青年が参加青年のパフォーマンスの歌を聴いて感動しているところを見たときには、船のプログラムの良さが垣間見えた気がしました。準備はとても大変でしたが、当日の喜びが大きく、次こそは立派に実行委員長を務めたいと思っています。
10年前、私もあの中にいた。毎日が一生に一度の体験の連続。皆輝いていた。今は2児の母となり、仕事も抱えて東南アジアはおろか、東京にさえなかなか行けない。でもこの節目に何かしたいと、地方プログラム受入実行委員とホストファミリーをさせてもらった。
ホームステイは一緒にいる時間が二日に満たない。5才と1才の子供がいる中で、どれだけのことが青年たちにできるだろうと正直不安だった。でも彼女たちは進んで子供たちと関わってくれた。言葉が通じなくても、身振り手振りで一緒にご飯を食べ、お風呂に入ったことは子供たちの心に深く残ったようだ。何より彼女たちの笑顔が私たち家族を幸せにしてくれた。
別れの時に涙が溢れた。もっと一緒にいたい。別れが辛くて涙を流す経験はホストファミリーになったからこそできた。娘が寂しさから立ち直るのに丸1日かかったが、「次は私がGenとQissyに会いに行く」と今から楽しみにしている。今回またSSEAYP Familyの一員であることを誇りに思えた。この「絆」はずっと私の人生の大事な一部だ。
一般財団法人青少年国際交流推進センターでは、日本の学校等に内閣府青年国際交流事業に参加をした経験がある在日外国青年等を講師として派遣し、国際理解教育支援プログラムを行っています。
平成27年9月から11月までの企画・実施プログラムを紹介します。
日付 | 平成27年9月16日(水) |
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実施先 | 大田区立入新井第五小学校 |
担当者 | 染谷武志副校長、久志本彩加先生 |
対象 | 4年生(60名) |
テーマ | 大田区のミニ観光大使になろう (外国の人に大田区について紹介しよう) |
プログラム |
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派遣講師 | Ms. Sheue Li, Ong(マレーシア) Mr. Ahmed Elsayed Moustafa Hegab(エジプト) Ms. Enkhbold Uyanga(モンゴル) |
外国語を扱う活動の単元として、本校の4年生は、自分の住む大田区について紹介をしようという活動を行いました。外国人講師には、その紹介する場面で協力していただきました。当日は、3名の外国人講師に自身の故郷の有名な建築物や食べ物を紹介していただきました。子供たちは、初めて知ることばかりで、それぞれの国の文化に興味深く耳を傾けていました。その後、子供たちが故郷である大田区について発表しました。学習した限られた英語表現の中で、自分で選んだ大田区の名所や特産の食べ物、地域に伝わる踊りなどを紹介しました。
外国の方と話すことを楽しみにしていた子供たち。より分かりやすく伝えようと、現地へ赴き写真を撮ってきたり、たすきや帽子などを手作りしたりして臨みました。当日は、講師を目の前にとても緊張した様子でしたが、自分が伝えたいことをジェスチャー等も交えながら紹介する姿が印象的でした。講師から感想をもらったことで、「話した英語が伝わったんだ」という喜びや自信が持て、英語の更なる意欲へつながった学習になりました。貴重な機会をいただきありがとうございました。
日付 | 平成27年10月8日(木) |
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実施先 | 福生市立福生第六小学校 |
担当者 | 猿田恵一校長、山上雅子先生(6年2組担任) |
対象 | 6年生(約82名) |
テーマ | 人権・共に住むまちを目指して |
目的 | 外国人講師の文化を知ることで、その国に親しみを持ち、テーマについて深く考える |
プログラム |
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派遣講師 | Mr. Ahmed Elsayed Moustafa Hegab(エジプト) Mr. Ricardo Machado(ブラジル) |
総合的な学習の時間の「共に住むまちを目指して」という単元で、外国の方と共に住むには、自分たちはどのようなことをしたらいいのかということに目を向けるため、協力をお願いいたしました。
エジプトとブラジルの講師の方に、講義の前半では自国のことについて話していただき、後半では、日本に来て困ったことなどについて教えていただきました。後半の内容の「日本に来たとき日本人に話しかけても相手にしてもらえなかったこと」や、住む家を探すときの実体験を話していただき、その後の学習に大変参考になりました。特に、不動産屋から40件紹介されたが大家さんは、3件しか許可をしてくれなかったことがあったという話は大変印象に残りました。
子供たちからは、「外国の方から声をかけられたら逃げないで教えてあげたい」「これから外国の方だからといって見た目で判断しないで話をしようと思う」などの感想が出てきました。また、「外国の方は怖くて悪いイメージがあったけれども、イメージが変わった」と言っている子もいました。さらに、「英語を覚えて外国の方と話せるようになりたい」「外国の方が困っていたら自分から声をかけるようにしたい」「外国の方が住みやすいまちづくりを目指したい」と考えた子もいました。講師の方々が給食を一緒に食べてくださったり、ユーモアを交えながら自国のことを教えてくださったりしたおかげで、子供たちと先生方の間に親近感が湧き、子供たちの心の中で講師の方々に対しての共感が芽生え、このような感想が出てきたのだと感じます。
福生市は、外国籍の人が多いため、外国の方に対して特別というような感覚は、他の地域と比べると少ないと思われます。しかし、東京都や他の地域の人たちの外国の方に対しての見方は、自分たちと違うということも学ぶことができたと思います。子供たちにとって、日本に来た外国の方が思っていることや考えていることを聞けたことは、これからの学習意欲を高めることにもつながり、大変良い経験になりました。様々な面で連絡を密にしていただき、誠にありがとうございました。
日付 | 平成27年11月7日(土) |
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実施先 | 品川区立清水台小学校 |
担当者 | 中島とし子校長、脇田学先生 |
対象 | 全学年(78名) |
目的 |
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プログラム |
各クラスにて、講師の各国文化紹介
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派遣講師 |
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品川区立清水台小学校を訪問して、一年生と二年生に中国の文化を紹介したり、彼らと一緒にゲームをしたり、楽しく過ごしました。私の授業に対して、子供たちは表情や発話を通して積極的に感想を伝えてくれました。私も彼らから鶴の折り方と日本のゲームを学びました。
この体験を通じて、中国の教育方法との大きな違いを実感しました。日本の先生方は、教科書を用いて知識を伝えることだけでなく、様々な方法で(例えば、国際理解教育支援プログラムの導入など)子供たちに教科書以外の知識を伝えることに努めています。また、受動的な知識の伝達ではなく、子供たちに学んだことを他者に教えさせることにより、子供たちの能動性を促すことにも努めていることが分かり、私にとっても学びの機会になりました。
1974年10月10日、第1回「東南アジア青年の船」事業が東京・晴海から出航、東南アジアの参加青年が待つバンコクに向けて。あれから41年、2015年10月、東京で二度目のリユニオン。10年前に東京で開催後、各国を一巡し、再び東京へ。当時の最年少が還暦ですから話題は健康のこと。メンバーの訃報や闘病のニュースにはとても心が痛みました。しかし、にっぽん丸の思い出話になると、41年前にタイムスリップし、輝く笑顔がいっぱいでした。多くのことに感謝、そして、感激したリユニオンでした。
It sort of feels like a “home-coming” because we are very much a part of “the Nippon Maru Family” since Oct. 1974.
“The Nippon Maru Family” who met consisted of youths-at-heart from Japan, Philippines, Thailand and Singapore as well as the Japanese administrative staff, tutors, camera crew, and our beloved Mr. Hiroki Suzuki, the Japanese National Leader. We hugged each other and squeals of delight were heard as each and every one of us made contact. Tears of joy and sadness were shed. Joy at meeting up; for some as long as 41 years, and sadness at the fond memories of those dearly departed. Friendship is a beautiful bond. Photos were taken, email addresses exchanged and the friendly banters and sharing all made our day.
Thank you for putting up a good reunion party and the tour of Tokyo. It was not easy but you and your committee pulled it off with flying colors. For all the memories etched inside our heads, the only regret was that we had to part.
1974年10月に「にっぽん丸ファミリー」の一員になった私たちにとって、今回のリユニオンはまるで「帰郷」のようでした。
「にっぽん丸ファミリー」のメンバーは、日本、フィリピン、タイ、シンガポールの既参加青年、そして日本の管理部員、チューター、カメラクルー、愛する日本のナショナル・リーダーの鈴木弘喜氏。私たちは抱き合って歓声をあげ、一人一人と再会を喜び合いました。喜びと悲しみの涙を流しました。41年間を経た再会の喜びの涙。亡くなった方々を懐かしむ悲しみの涙。友情は美しい絆です。写真を撮ったり、メールアドレスを交換したり、気さくに冗談を交わしたり、すべてを分かち合い、最高の日になりました。
すばらしいリユニオン・パーティーと東京のツアーを企画していただき感謝いたします。リユニオンを成功させることは、管理部を始め、皆様にとって容易ではなかったでしょう。私たちは別れを惜しみつつ、すべての思い出を心に刻みました。