macrocosm



一般財団法人 青少年国際交流推進センター主催

国際理解教育支援プログラム

一般財団法人青少年国際交流推進センターでは、日本の学校等に内閣府青年国際交流事業に参加した経験がある在日外国青年等を講師として派遣し、国際理解教育支援プログラムを行っています。平成27年度も各学校等からの依頼に基づき、8月までに3回のプログラムを企画・実施しました。

第1回

日付 平成27年5月31日(日)
実施先 台東区立忍岡小学校
担当者 吉藤玲子校長、鬼塚信之主幹教諭、細貝郁子主任教諭
対象 3年生と4年生(54名)
テーマ 異文化理解~外国人講師との交流を通じて~
プログラム 外国人講師による母国の言葉、観光地(世界遺産)、
食べ物、民族衣装、伝統的な遊び、音楽などの発表/質疑応答
※公開授業
派遣講師 Ms. Sun Jiaru(中国)
Ms. Cameron Nitta(アメリカ合衆国・ハワイ)

実施校の感想

台東区立忍岡小学校 吉藤玲子校長

忍岡小学校は、上野公園や上野動物園、東京大学に隣接する環境に恵まれた地域にある小学校である。今年、創立140周年を迎える。台東区では全校をあげ2020年のオリンピック・パラリンピックを推奨している。本校は、台東区の「おもてなし英会話」推進校として国際理解教育にも力を入れている。日本で英語を教えているというハワイからいらしたCameronさんの授業では、アメリカの中のハワイ、ハワイの文化や食事、日系アメリカ人であることを話してくれ、一緒に子供たちは、フラダンスを踊った。リロ・アンド・スティッチの身近なアニメから話を始めてくれ、子供たちは、ハワイについて親近感をもつことができた。日系アメリカ人という言葉を初めて聞く子供も多かったと思うが良い学習をすることができた。

また、中国から日本に来て勉強をし、大学で教えている孫さんからは、中国の生活の様子や簡単な中国語を教えてもらうことができた。子供用のチャイニーズ服も持参してくれ、子供たちは大喜びだった。歴史がある日本と中国のつながり、民間レベルでの親しい交流を今後も続けていくことが大切であると思った。

ハワイも中国も日本からとても身近な場所だ。このような交流の機会を通して、少しでも異文化への理解を深め、自分から地域や日本について発信できる子供たちに育ってほしいと願う。

ハワイの講師が母国の文化や地理について発表する
発表のあとにフラダンスを教え、児童や参観者と一緒に踊る
中国の講師が母国の文化、食物、服装等について発表する
講師が持参したチャイナドレスを児童が試着する
一般財団法人青少年国際交流推進センターでは、独自事業として国際理解教育支援プログラムを推進しています。小中学校、高等学校、その他様々 な団体からの依頼に応じて、プログラムを実施しております。プログラムの実施に興味がある方は、お気軽に当センターまでお問い合わせください。

第2回

日付 平成27年6月6日(土)
実施先 品川区立清水台小学校
担当者 中島とし子校長、脇田学先生
対象 全校生徒(約78名)
目的
  • 国際交流活動を通して、外国の文化や立場を理解し尊重する態度を養う
  • 学習した英語を活用して、外国の方とコミュニケーションを図る
プログラム 講師の自己紹介と母国の紹介
【低学年】講師の発表:国旗、位置、あいさつ、民族衣装、食べ物、
伝統的な遊び等(10分)、児童が伝統的な遊びを体験(30分)
【高学年】講師の発表:国旗、位置、あいさつ、世界遺産、お祭り、
学校生活等(30分)、質疑応答(10分程度)
  • 児童からの感謝の言葉や歌(5分程度)
派遣講師 Ms. Chuon Somaly(カンボジア)
Ms. Sheue Li, Ong(マレーシア)
カンボジアの講師が母国の文化、食物、教育事情等を説明する
マレーシアの講師が紹介した伝統的な遊びを児童が体験する

第3回

日付 平成27年7月3日(金)
実施先 中央区立佃島小学校
担当者 大橋稔校長、山本光男先生(5年生担任)
対象 小学校5年生(3学級 計94名)
目的 国際理解教育:児童が、自国と他国の文化、生活、環境などの違いを知ることによって、視野を広げるとともに、自国の文化や他国の文化を互いに尊重し合う態度を育てることを目的とする。
プログラム 各クラスにて、講師による各国文化紹介
  • 自国の言葉であいさつ
  • 食べ物、伝統民族衣装、生活文化、習慣の紹介
  • 伝統的な遊びやゲームなど
派遣講師 Ms. Sheue Li, Ong(マレーシア)
Mr. Ahmed Elsayed Moustafa Hegab(エジプト)
Ms. エディス大村祐子キャロライン(日本・英国)
エジプトの講師が母国の文化、食物、
宗教等様々な面から写真を使って発表する
英国と日本の両国籍を持つ講師が
両国の文化とアイデンティティについて発表する
◆問合せ先 国際理解教育支援プログラム担当:田中 佐代子・大久保 正美
E-mail: iuesp@iyeo.or.jp  Tel: 03-3249-0767
第22回青少年国際交流全国フォーラム基調講演者
「高知県立坂本龍馬記念館館長森健志郎氏」の御逝去について
MACROCOSM vol.111には、平成27年8月29日に高知県高知市にて開催しました
当センター主催の第22回青少年国際交流全国フォーラムにおいて基調講演をお願いしました
「高知県立坂本龍馬記念館森健志郎館長」による基調講演録を掲載致しております。

森健志郎氏におかれましては、11月2日に急逝されましたことをお知らせ致しますとともに、
故森健志郎氏の生前の御活躍に敬意を表し、心より御冥福をお祈り申し上げます。

青少年国際交流事業事後活動推進大会

日本青年国際交流機構第31回全国大会

第22回青少年国際交流全国フォーラム

高知大会

平成27年8月29日(土)~ 30日(日)、高知県高知市にて、第22回青少年国際交流全国フォーラム、日本青年国際交流機構第31回全国大会(30周年記念大会)、青少年国際交流事業事後活動推進大会が開催されました。「自由人 龍馬に学ぶ グローバルリーダーのすすめ」という大会テーマのもと、全国から関係者を含め427名が集いました。基調講演では、高知県立坂本龍馬記念館館長の森健志郎氏に御講演いただきました。森氏は立命館大学文学部(中国文学科)御卒業後、高知新聞社に入社され、2002年には新疆ウイグル自治区新疆大学に留学、2005年、高知県立坂本龍馬記念館館長に就任され、現在に至っておられます。

以下に、基調講演(抜粋)を紹介します。

大会日程
第1日目 8月29日(土)
12:30 受付
13:30 開会式
14:00 基調講演「自由人 龍馬に学ぶ グローバルリーダーのすすめ」
講演者 高知県立坂本龍馬記念館館長 森健志郎氏
15:30 分科会
19:00 懇談会
第2日目 8月30日(日)
6:30 早朝ウォーキング(任意参加)
9:00 日本青年国際交流機構表彰式
9:30 ASEAN及び日本の事後活動紹介
10:00 パネルディスカッション
11:00 閉会式
11:30 地域理解研修(任意参加)
講演者プロフィール
森健志郎(もりけんしろう)氏
1941年、中国張家口に生まれる。立命館大学文学部中国文学科卒業後、高知新聞社入社。社会部から東京支社次長兼編集部長、高知新聞企業出向。2002年、同企業退職後、新疆ウイグル自治区新疆大学に語学留学(2004年、同大漢語2年課程修了)。帰国後、2005年、高知県立坂本龍馬記念館館長に就任。熱い龍馬ファンとして現在に至る。

基調講演「自由人 龍馬に学ぶ グローバルリーダーのすすめ」

講 師:森 健志郎 氏 高知県立坂本龍馬記念館館長

「熱い龍馬ファン」ではなかったけれど

こんにちは。今日気付いたんですけど、私のプロフィールで一つだけ間違ってるところがあるがですよ。新疆ウイグル自治区の大学を出てから、この龍馬記念館に就任するとき、「熱い龍馬ファンとして」と書いてあるんですけど、「熱い龍馬ファン」ではなかったんです。私は新疆ウイグル自治区のタクラマカン砂漠が好きで、あの広さと何とも言えない風の音に魅せられて、年に1回ぐらいはタクラマカン砂漠に風に吹かれに行ってたんです。

私の前任の小椋館長のお家と私の家とがたまたま近かったんですよね。小椋さんが不燃物ゴミの会長をしていました。「森くん、そんなところに夜中に捨てたらいかんぜよ」とよく言われた仲だったんで、「ちょっと手伝ってくれんかな」と言われて龍馬記念館に行ったんです。8月8日のお盆の頃でした。海を見た時に、「ああ、これはタクラマカン砂漠の色違いの、すっごいところやなあ」と思いました。そのころは、龍馬についてそれほど勉強したわけでもなかったから、これからゆっくり龍馬を勉強しながら、龍馬好きになるぜよっていう感じやったんですよね。「ああ、色違いのタクラマカン砂漠が太平洋に広がったぞ」という感じでした。

お盆の時期の龍馬記念館はものすごい人で、1日3,000人くらい来ますね。でも、キャパは300人くらいなんですよ。そこに3,000人くらいの人が来ますので、あふれそうな状態。夏休みだから若い人が多いんですよ。泳いだ帰りに来たような感じで、タンクトップ、短パン、草履履いて、カップルなんか手握ったまま、どーっと入って来るんですよね。龍馬記念館は、普通の博物館の雰囲気ではないんですよ。

館の中にあるものは、龍馬の書いた手紙なんです。その手紙に解説をつけて置いてあります。ここは物を見るというより、読むことが大事なんです。若い人たちが入って来て、読むんですよ。長い手紙だと5メートルもあります。5メートルの手紙が床に敷いたような感じになっています。しゃがんで見んといかんところもあります。みんなしゃがんで、手もつないだまま、カニの横這いみたいになって読んでるんですよね。その熱心さを見て、これは普通じゃないぞと思ったのと、この熱い思いに応えんといかんなと思ったのが、龍馬記念館に入る最初のきっかけでした。

今では、本当に誰にも負けないぐらいの龍馬ファンになりました。毎日毎日、龍馬の手紙を見るし、学芸員から話は聞くし、本はあふれているし、毎日龍馬が見ていた海を毎日眺めるじゃないですか。龍馬漬けの毎日で、この8月8日でちょうど10年になりました。恐らくうちの学芸員と比べても、私が一番じゃないかというぐらい、龍馬ファンになっております。

来館10回ではじめて「リピーター」

私が入った年は、龍馬記念館の年間入場者数は11万人から12万人くらいでした。それが、「龍馬伝」が始まることになって、福山雅治が龍馬になるぞというニュースが流れたとたん、なんと26万人!そして、実際に「龍馬伝」が始まったら、47万人ですよ。下の県道まで順番を決めて並んで待たないかんぐらいの大変な人出になりました。それぐらい龍馬に対する人気はものすごいんですよね。そして、「龍馬伝」が終わって今でも15万とか17万人の方が来られています。

そして、龍馬記念館はリピーターが多いんです。そのリピーターも1回とか2回ではリピーターとは言わなくて、まあ10回くらい来たらリピーターやのう、という感じです。みんな人生の節目に来られます。大学の試験、就職試験、結婚の問題、病気の問題、家族との別れもあります。自分の人生の節目に来られる方が多い。リピーターが多くて若い人が多いというのが龍馬記念館の特徴です。

だから、「龍馬記念館は悩みなくていいね」と言われるんですけども、それがあるがですよ。龍馬記念館の悩みは、高知の人が来んことです。全来館者数の5%くらいしか来られません。大阪、神戸、東京、神奈川、岡山、広島の人が多い。来て熱く語る。高知は空港から始まって、旅館、ホテル、タクシー、お酒、お菓子、野菜、葬儀屋さん、みんな「龍馬」という名称がついてますけど、龍馬のことを話すとなると、なかなか難しい。「龍馬のことはええわよ」となる。地元の新聞でさえ「また龍馬かよ」という状態ですよ。逆に言うと、それほど浸透しているということかもしれませんけれども。私たちが今やらないといけないことは、高知の龍馬記念館にどんどん来ていただいて、勉強してもらうことです。

一番人気のある展示物

記念館の前に「シェイクハンドの龍馬像」ができました。みなさんは龍馬と握手できます。小説「龍馬伝」の中で著者の福田先生が取り上げた二つの大切なことがありました。「握手」とおりょうさんの「笑顔」。それで、「シェイクハンド」を作ろうということになりまして、高知の彫刻家の先生方に「頼むぜよ」と話したらですね、「できんぜよ」と言われたんですよね。「なんで?」と聞いたら、「森さんよ、彫刻っていうのは、周りから見るものであって、触ったりするものを彫刻とは言わんぜよ」と言われました。諦めようかなと思った時に、3人の先生方のうちの一人が、「2週間考えさせてください」と言うんです。そして2週間後に電話がかかってきて「やらせていただきます」と言われました。「やらせていただきますって、あの時あれだけ『できない』って言ったやない。彫刻家に触ったりするような彫刻を作らせること自体が間違っているって言ったやない」「いや、龍馬やからやります」 そうやってできたのが今のシェイクハンドの龍馬像です。

恐らく、龍馬記念館で一番人気のある展示物ではないかと思うぐらい人気があります。すでに20万、30万を超える人が握手されています。館に入らなくても握手だけに来られる方もおられます。朝早くスポーツ選手たちが握手に来て、「今日は勝たしてよ」と言ったり、願い事をしたり。神奈川から来たおばさんの団体では、一人のおばさんが抱きついてキスしてましたね。シェイクハンドの龍馬ちゃんにお金を持たせてみたり、傘を持たせたり、いろんなことをしながらみんな写真を撮っておられます。

【用語解説】
★黒船来航
嘉永6年(1853年)に、代将マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、日本に来航した事件。当初久里浜に来航したが、当時久里浜の港は砂浜で黒船が接岸できなかったことから、幕府は江戸湾浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)に誘導した。
★脱藩
江戸時代に武士が藩(国や領地など)を脱出して浪人になること。幕末には尊王攘夷が興隆し、藩にいると自由に行動できないので脱藩を行い、江戸や京都など政治的中心地において諸藩の同士と交流し、志を立てようとする志士が増えた。
★亀山社中
1865年坂本龍馬が長崎で結成した貿易結社。物資の輸送とともに航海訓練を行うなど、私的な海軍の性格をもち、海援隊の前身となった。亀山は地名、社中は仲間たちという意味。
★いろは丸
当時、伊予国大洲藩(愛媛県大洲市)所有の蒸気船。土佐海援隊隊長坂本龍馬が伊予大洲藩から借り受け、最初の航海で物資(鉄砲)を運ぶために長崎から大阪に向かっている途中、現在の岡山県笠岡市で紀州藩の明光丸と衝突し沈没した。
(日本青年国際交流機構第31回全国大会 高知大会実行委員会作成冊子より引用)

龍馬に対する熱い思い

龍馬ファンの熱さを紹介したいと思って、4通ほどお手紙を持ってきました。龍馬記念館には、「拝啓龍馬殿」というお手紙があります。入館した方が龍馬に手紙を書いていくのです。この手紙がどこかで発表されることはみんな知っています。もうすでに2万5千通ぐらいの手紙があります。これはごく最近のお手紙です。大津市から来られた35歳の方です。「拝啓龍馬様。あなたに初めて出会ったのは、約20年前、私が高校1年生の時でした。家庭の事情で不登校、引きこもりになっていた私は「生きる勇気」「社会に出る勇気」をもらい、その後、大検を取り、今では中学校の社会科の教師になりました。今までがんばってこられたのは、龍馬様のお陰だと思っています。結婚し、二児をもうけ、幸せに過ごしています。息子、娘にも龍馬様の生きざまを話し、倣い、成長してもらいたいと思っております」

これは8月15日の終戦記念日のものですね。「今日は戦後70年です。龍馬殿、あなたは志半ばで殺されて、無念であったでありましょう。もしもあなたが殺されず、志を貫いていくことができたものなら、70年前のあの悲惨な無残な戦争は起きなかったと私は思います。日本のリーダーとなる者は未だ現れず、もう一度、龍馬殿、生き返り、日本のために、世界のために指揮を執っていただきたい。そうしたら道に迷う者はいないであろう」 これは、神奈川の20歳代の男性です。

これも神奈川から来られた69歳の方のお手紙です。「平成にも第2の龍馬が必要だと今強く思う。外国を意識した、国内政治の行方が迷いの中にあります。英知より度量の大きさが問題ではないでしょうか。個を捨て、真に国を思う心、大きな強さがすべてだと私は思います。そういう人の出現を想います。小生の社会的人生はもう終了いたしました。二人の孫に将来を託しています。己に厳しく、精進してほしいと願っている私です。天上からご覧ください」

龍馬に寄せる想いというのは県外の方は本当に熱いと思います。今年は龍馬生誕180年です。そして終戦70年という節目の年です。ですから、龍馬記念館としても龍馬を大きく取り上げていこうとしています。龍馬を語る時には手紙が欠かせません。龍馬には140通余りの手紙があります。その約半分が家族に宛てたお手紙なんです。さらにその中の20通近くが3歳違いのお姉さんに宛てたものです。それだけ自分の姉とのつながりを大事にしたのが龍馬でした。

お姉さんに宛てた手紙は話し言葉で、今読んでもよく分かります。彼が27歳の時に、土佐勤皇党に入る。そして、一年経って脱藩する。脱藩して山内要堂と勝海舟が話をして、脱藩を許してもらいます。脱藩を許されて最初にお姉さんに書いた手紙があります。「さてもさても人間の一生は合点のいかぬはもとよりのこと、運の悪い者は風呂よりいでんとして、きんたまをつめ割りて死ぬ者もあり、それに比べては私などは運が強く、何ほど死ぬる場へ出ても死なれず、また死のうと思うても生きねばならんことになり、今にては、日本第一の人物、勝麟太郎殿という人の弟子になり、日々かねて思いつきしところを精といたしおり申し候。それゆえ私、齢四十になるころまでは家に帰らんようにいたし申すつもりにて、あにさんにも相談いたし候ところを、このごろはおおきにご機嫌もよろしくなり、お許しがいで申し候。国のため天下のため、力を尽くしおり申し候。どうぞおんよろこび願いあげ、かしこ」

これが1863年、脱藩した後、その脱藩の罪を許された時にお姉さんに書いた手紙です。「さてもさても人間の一生は合点のいかぬはもとよりのこと」というのは、今の世でも変わりはありません。人生っていうのは、一体何が起きるか分からん。「運の悪い者は風呂よりいでんとして、きんたまをつめ割りて死ぬ者もあり、それに比べては私などは運が強く」 しかし運の悪い者は、お風呂から出ようとして大事なところをケガする場合もあった。今ではないですよね。龍馬は「私は運が強い」と言うんですよね。その運が強いと言った龍馬が、5年後には暗殺されます。それぐらいのものすごい世の中ではあった。そして、勝海舟、勝麟太郎殿という日本で一番偉い人の弟子になり、そのことが私にとっては一番大事なことなんです、ということを言います。さらに「国のため天下のため、力を尽くしおり申し候」と29歳の青年が言ってるんですよ。自分が29歳の時には、家に電話して「ちょっと金送れや。車買いたいき」って言ってました。同じような時に彼は「国のため天下のため力を尽くしおり申し候。どうぞおんよろこび願いあげ、かしこ」と姉に書きます。そういうことを書けるぐらいの高い水準の家であったというのは間違いありません。

龍馬が大事にしたのは、自分の師匠です。「私は日本第一の人物、勝麟太郎殿という人の弟子になり、日々かねて思いつきしところを精といたしおり申し候」、自分が今まで思っていたことを勝海舟と話すことによって解決していこうとしたと言っています。

公平と平等が合体する

龍馬は、上士と下士という身分制度がある高知で生まれました。龍馬には才谷屋という大きな質屋さんがついていました。だから、着ること食べること、お金にはまったく不自由しませんでした。岩崎弥太郎はどうやったか。岩崎弥太郎の家はすごく貧しかった。だから、どうやって稼ぐか、どうやって親たちを苦労させないようにするかをしょっちゅう考えた。そこに大きな差がありました。龍馬は、同じ人間なのに上士と下士という差別があっていいのか、何かあった時は上士ではなく下士の責任になる、なんでこんな身分差別があるのか、人間はもっと平等でないといけないということをじっと見つめたのです。

勝海舟はどうだったか。勝海舟はすごく貧しい下層階級の役人の子でした。上級の役人と下級の役人とが比べられた時には必ず上級の役人の意見が通りました。こういう状況で、人の意見を聞くときは、必ず平等でないといけない、公平でないといけないと思ったんです。公平に人は生きなければならない。平等に生きなければならないということを龍馬は考えたんです。公平と平等が合体します。

龍馬の国際人としての知恵

明治維新の前1853年にペリーが来航します。龍馬にはなぜか国際人としての知恵がありました。それは高知のジョン万次郎がアメリカから帰ってきたからなんですよね。当時のアメリカでは、すでに自由が謳歌されていました。「エ・プルリブス・ウヌム(多数が作る一つ)」という言葉がお金にも刻まれています。実際に平等な社会を自分の足で踏みしめて来たのがジョン万次郎でした。ジョン万次郎は土佐藩の河田小龍の調べを受けます。ジョン万次郎は取り調べの際に、一般人も選挙で大統領を選ぶ権利、自由があることを話します。みんな平等じゃないか、自由じゃないか、自由と平等じゃないか。そこに平和があるということをジョン万次郎は河田小龍に話しました。河田小龍は坂本龍馬の先生でした。ですから、河田小龍が龍馬に今のアメリカ、今の世界はこうなっているよという話をしました。龍馬はその話を勝海舟にしました。龍馬と海舟とジョン万次郎。この3人が交わった時に日本は動いていったんです。龍馬の言う平等、勝海舟の言う公平、そして公平と平等の社会を実際に踏みしめて来た万次郎の体験。それが国際人である龍馬を生み出した原点です。

ジョン・ハウランド号でアメリカに行き、アメリカで教育を受けることになったジョン万次郎が、向こうの捕鯨船で聞かれます。「きみはどこの人間なの?」ほかの国の人もみんな順番に質問されます。「私はイギリスです」「フランスです」と答えている時に、ジョン万次郎は「日本です」と答えたんです。「土佐です」とは答えなかった。「日本人です」という答え方をしました。「日本人」という言葉を使った日本人は、恐らくジョン万次郎が初めてだと思います。日本が混沌状態にあった時、西郷隆盛が「おれは薩摩の」、桂小五郎が「長州の」と話している最中に、龍馬は「私は日本人です」と言います。まだ各藩レベルの話をしていた時代に、すでに世界が視野に入っていたのが龍馬だったんです。それぐらい見方が広かった。国際人といえる幕末の男は龍馬ではなかったかと思うんです。そして、その原点は万次郎ではなかったかなとも思います。ですから、ジョン万次郎がいて、龍馬がいて、勝海舟がいて、公平と平等とがぐるっと混ざり合った時に、初めて日本が動いていったような感じがします。

ただ、龍馬と万次郎が出会ったかどうかは分かりません。書類や記述は残っていないけど、私は恐らく会っていたんではないかと思っています。例えば、ジョン万次郎は江戸での自分の護衛に岡田以蔵をつけました。勝海舟が京都でつけた護衛も岡田以蔵です。岡田には龍馬が命令しています。そうすると、ジョン万次郎にも、勝海舟にも、同じ人の命令で以蔵がついたのではないかと考えるんですけれども、その証拠はありません。

勝海舟が京都で3人の暗殺者に襲われます。それを一刀のもとに切り捨てたのが岡田以蔵です。そのことによって勝海舟は難を免れました。けれどその時、勝海舟は岡田以蔵に「人を殺すような、人命を奪うようなことを生業にしてはならんよ」と言うたんですよ。「いや、先生、私が今切らなかったら先生の命はなかったですよ」と言われて困ってしまったということを勝海舟は書き残しています。同じようなことが万次郎にもありました。ですから、万次郎と海舟と龍馬の3人が一緒になったということは、歴史的には出てないんですけども、あったんじゃないかなと思います。

船もそうです。3人にはちゃんと船がありました。龍馬にはいろは丸、勝海舟には咸臨丸、ジョン万次郎にはジョン・ハウランド号というふうに船と海とが必ずついています。

そして、龍馬の魅力といえば、経済観念です。いろは丸事件で紀州から賠償金を取り立ててきます。7万両、21億円ぐらいですかね。まったく面識のない福井へ行って、5,000両借りてきて海援隊を作っています。また、脱藩する時にお金がないのでたった2両を借りたりします。大阪では本当に何もなくて刀まで手放そうという時に樋口真吉に1両をもらいます。龍馬にはお金に対する見識があるんですよね。お金を貯めるために仕事をするんじゃない、人を育てるためにお金を使うんだ、というのが龍馬の考え方です。この考え方が常に変わらないんです。

龍馬は薩長同盟を結成します。薩長同盟で必ず必要なのが、仲間です。仲間がいます。先生がいます。そして行動力があってお金があります。海援隊を作った時に、船長も一番下の食事を作る人も給料はみんな一緒なんですよね。三両二分、全員が同じなんです。平等をどれほど意識していたかということが分かります。目線は常に広く、そして動く時には仲間を大切にという意識です。

その中でも、彼が一番大事にしたのは何か。彼は33歳までに肉親との別れを9回体験しています。大家族制度の中で肉親と別れていく辛さ。このことから感じるのは、やっぱり家族は大事。家族は出発点。一番大事なのは人間の命であるということです。だから、人間の命は大事にせないかん。戦はいかん。戦いは止めようとずっと言っていたのが龍馬です。このことが、暗殺される原因になったという説もあるんですけれども。

新しい展開は仲間から

龍馬の周辺には常に仲間がいる、良い師匠がいるというのが定番です。そして大事にしたのが命です。家族です。ですから、仲間を大事にするのがすごく大事なことだと思います。私たちもしょっちゅう言うんですけども、仲間から新しい展開が起きる。皆さんのお仕事はまさにそうじゃないかと思うんです。私も新聞記者時代はたくさんの人を知っていました。

けれども龍馬を知って新しくできた友達はまた違うんですよ。アメリカやハワイで龍馬フォーラムをやってできた友達はまったく違います。例えば、ウィーンにはハプスブルク家というのがあります。ハプスブルク家より、平和の思いから「平和の炎のトロフィ」を龍馬に渡したいという話がありました。私が龍馬の代わりに行って受け取ってきましたけれども、そこで現在のハプスブルク家の当主とお友達になることができたんですよね。広がりがどんどんでてきます。

ハワイでは、「サダコの折り鶴」が今パールハーバーに飾られています。ハワイにプナホウというオバマ大統領が出た高校があるんですが、ここにピーターソン・ひろみという先生がおられます。先生は、ご自身で独自に作られた日本語の教科書を出版されまして、現在では全米50%以上で使われています。ひろみ先生がこの間、記念館に来られて、ピースビルダー、平和づくりの話をされましたけど、やっぱり折り鶴の話がでてくるんです。それは龍馬のつながりがきっかけなんですよね。

「龍馬を生きたい」と言われた李登輝氏

龍馬記念館にはたくさんの政治家の先生が来られます。「龍馬、すごいね」「龍馬好きです」と言われますけど、「龍馬のごとく生きるぜよ」とは誰も言いません。李登輝先生は何と言われたかというと、「私は龍馬を生きたい」と言われたんです。先生は司馬遼太郎さんとお友達で、彼が絶賛した桂浜の龍馬像を見たいし、もう最後だからあいさつしておきたいということで記念館に来られました。私は中国に行っていたことがありましたので、恐らくその日は中国語で話すんだろうなと思っていたら、ドアを開けるなり、「森館長さん、今日はよろしくお願いします」とすごい達者な日本語でおっしゃったんです。そして、初めてお会いしたんですけど、今まで友達であったかのごとく、親密に話されるんです。みんなと握手をされた後、講義室に来られました。私たちは龍馬の刀と新婚旅行の手紙を出して今日はこの説明をしてあげようと待っていました。先生が来られたので、うちの学芸員が説明しようとした。すると、奥さんが「あなた、説明してくれません」って言われたんです。そうしたら、李登輝先生がその龍馬の手紙についてお話されたんですよ。雲仙普賢岳に新婚旅行に行ったと言われるあの手紙の内容ですよ。この背景にあったのは当時の幕府で、それから逃れて龍馬は手を切られて、普賢岳に上がって、これが新婚旅行の手紙と言われるんですよということまで説明されたんです。すごい研究心ですよね。

李登輝先生の中における龍馬は、先生の人生そのものでした。李登輝先生に聞きました。「日本はなんでこんなに乱れているんですか。台湾はなんで落ち着かないんですか?」「それは議員が職業になったからですよ。台湾も日本も一緒です」と言われたんです。その後こう続けられました。「龍馬さんを見てください。龍馬さんに私心がありましたか?龍馬には私心がなかったでしょう。私心なくして、人のため国のため。そして、最後に何を賭けましたか?お金ですか?名誉ですか?地位ですか?違うでしょう。命でしょう。今の世の中で、無私の心で命を張って天下のために動いてくれる政治家が一人でもいたら、日本も台湾も変わりますよ」 これを聞いたときにね、「ああ、これほどまでに李登輝先生のお腹の中には龍馬が入っているんだな」と思ったんですよ。

「世界中の人の幸せ」を願う孫正義氏

龍馬を通じて友達になったもう一人の方は、ソフトバンクの孫さんです。孫さんも強烈な龍馬ファンです。自分が本当に貧しい時代、お父さんが引くリヤカーの後ろに乗っていた時代に「お父さん、お母さんを楽にさせたい」という一心でアメリカに行きます。家で不幸が起きるかもわからんという事態を無視してアメリカに行きます。龍馬も自分が脱藩したら家族に迷惑をかけるかもしれないと思いながら脱藩します。龍馬にも「国際人としてのアメリカ」という思いがありました。孫さんにもアメリカへの思いがありました。自分の生きざまの中に龍馬を抱き込んでいるのが孫さんでした。

3、4年前にフォーラムを開催して孫さんに来ていただきました。孫さんは「人はいろいろ言うかもしれませんが、私が今考えていることは、世界中の人の幸せです」と言いました。ある会社の社長に「孫さん、こんなこと言うとったけど、お前どう思う?」と聞いたら、「恥ずかしくてそこまで言えない」と言うんですよね。それだけの思いを全然恥じることなく発言できるのが孫さんですよ。その原点にあるのが龍馬です。龍馬の行動力、見識、そして無私の心。己に私心があっては物事はどうにもならん。それをなくして前に進みましょうというのが龍馬の思いなんです。

孫さんが帰られる時タクシーの中で、「森さん、人間の一番の幸せとは一体何だと思いますか?」と言われました。「僕は優しさだと思うんです。人間の心の一番奥にある原点は、優しさではないかと私は信じているんです」と孫さんは言うんです。他社との争いがあり、国とのやりとりがあり、腹立たしいことがいっぱいある中でそう言われたんではないかと思います。

龍馬のような人が必要

ですから、孫さんの胸の中にも、李登輝先生の胸の中にも、ウィーンのハプスブルク家の胸の中にも龍馬がいる。そして、アメリカのプナホウ・スクールの高校生の中にもそれがある。アメリカでフォーラムをした時、龍馬を誰も知りませんでした。「龍馬って何ですか?」「龍馬とはこういう人なんです」と言ったら、アメリカの高校生たちが「アメリカにも龍馬のような人がほしいですね。前に出て動いてくれて国民を良い方へ引っ張っていってくれる、そういう人がほしいです」と言いました。「アメリカではどういう人ですか?」「リンカーンやキング牧師ではないでしょうか」と言っていました。中国の大学の先生も同じことを言いました。「龍馬のことは知りません。でも、龍馬のような人が必要です」

みんなの心の中に、龍馬的な人がいることは間違いありません。今年は龍馬生誕180年。そして、終戦70年です。再来年には龍馬暗殺150年が巡ってきます。今年はその2年前、武市半平太、岡田以蔵などが切腹した年です。その年は本当に揺れていました。それから2年間龍馬は必死に生きました。仲間を大事に志を持って、私心なくまっすぐ進みます。今よく言われます。今は平成の幕末であると。幕末ではないかというほど世の中は揺れています。なんで?というような事件が起きています。揺れる幕末、平成の幕末だと考えれば、みなさんが立ち上がる時、みんなが龍馬にならないかん時ではないかと思います。

龍馬記念館に来るお客さんは、桂浜の龍馬の銅像を見て、龍馬記念館へ上がってきて、龍馬の手紙を見て、外へ出て風に吹かれます。そして「私はこれで龍馬になったぜよ」という気になって帰られます。龍馬記念館に来る皆さんは龍馬好きです。でも、みんなそれぞれの龍馬を持っていることは間違いないと思います。もし、龍馬が生きていたらどうなったでしょう?とよく聞かれます。もし生きていたら、新しい政府作りに古い政府はいらないといって、長州、薩摩が中心になって徹底的に幕府をやっつけた戊辰戦争、龍馬が暗殺されてすぐ起きた戊辰戦争はなかったと思います。龍馬が生きていたら、幕府をやっつけることはありませんでした。あれも新しい一つの藩と思って新しい組織の中に入れてやりなさいと言ったと思うんです。もし、龍馬が生きていたら戊辰戦争はなかった。戊辰戦争がなかったら、日清日露戦争はない。日清日露戦争がなければ太平洋戦争はない。太平洋戦争がなければ広島長崎の原爆もなかったんじゃないか。70年前のあの戦争はなかったんじゃないか。こういうことを予想させるのが、幕末の龍馬の人柄ではないかと思います。

今必要なのは、それぞれが龍馬になって、私心なく前に進む。志を持って仲間と一緒に前に進むということではないかと思います。今日はどうもありがとうございました。

分科会一覧
国際交流
A. 人生が輝く一人でもできる国際交流 ~人生の舞台は立体スクリーン(地球)だ~
海外サイクリングやアフリカ・マラウイでのボランティア体験から学んだ国際交流の醍醐味を紹介。青春は、遠回り、寄り道、失敗の連続。しかし、国際交流は、必ず人生を豊かにしてくれる。今できなくてもいつか実現したい「人生が輝く一人でもできる国際交流」を語り合いました。
B. スペシャルミールの基礎知識 ~作って、食べて、考えよう~
アフリカや大洋州、アジア諸国等約40か国からJICA技術研修事業や内閣府青年国際交流事業に参加した海外青年を受け入れたノウハウから、「宗教や食事制限を有するゲストのおもてなしポイント」を紹介。レシピを参考に家庭で簡単にできるベジタリアン食の調理に挑戦しました。
国際協力
C. 国際支援と人生の選択 ~最良の人生の選択とは何かを考えよう~
「NPO法人 虹の種」理事長としてタイ・サンクラブリに設立した「虹の学校(児童養護施設兼学校)」では、子供たちが生き生きと過ごしています。元々の自然や生活の営みを大切にしながら、自分たちにできる支援とは何か。虹の学校の様子から自然と調和し循環する生き方を学び、内面を見つめました。
D. カリンガリンガ村の長老会議 ~国際協力のありかたを考える~
国際支援メニューAからCの優先順位は、どれが一番高い?ザンビアのカリンガリンガ村(架空村)の命運に関わる様々な国際支援プログラムについて、村の長老会議のメンバーとして村益を第一に考えながら最良の決断を考えました。
E. アンパンマンから学ぶ 愛と正義と勇気! ~やなせ先生が、私たちのアンパンマンです~
高知県出身の「やなせたかし氏」が生み出したアンパンマンと個性豊かなキャラクターたちから、グローバル社会に必要な多文化共生の心を学びます。また、東日本大震災の復興応援ソングとも言われている「アンパンマンのマーチ」をテーマに、アンパンマンの愛と正義と勇気について考えました。
F. 持続可能な開発のための教育 The Education for Sustainable Development
日本が国連に提唱した「ESDの10年(2005~2014)」の取組を振り返り、どんな未来を築いていきたいのか(My ESD for the future we want)、「バナナペーパー」や「ESDリレー刺繍」等のワークショップを通して共有しました。
青少年育成
G. 青少年よ海外を目指せ! ~勉強、外国語がダメでも大丈夫。人生のチャンスはいくらでもある~
内閣府青年国際交流事業に参加後、ワーキングホリデーや留学を体験し、企業の国際部門で働く社会人から、青少年が海外を目指すためのチャレンジ精神を学び、国際化や青少年のキャリア計画について考えました。
H. 地球で見つけた いろいろな幸せのカタチ!
  ~地球上にあるいろいろな幸せのカタチから学び、人々を幸福に導く人になりましょう!~
NGO(高知希望工程基金会)で活躍する講師が、グローバル社会の中で見つけた「いろいろな幸せのカタチ」を紹介。自分の人生での経験を語らいながら、幸福度の高いライフスタイルとは何かを考えました。
I. グローバルリーダー育成のクエスト ~ある日突然届いた奇想天外な手紙。あなたなら、どう答える?~
開発教育や海外日本語教育の研修ツールとして開発した「自己発見のクエスト」(全国大会バージョン)を体験。「標準回答」のない問題にインスピレーションで答えながら、自己の「思考プロセス」を発見し、グローバルリーダーとしての豊かな発想力と柔軟な思考力を養いました。
J. 青少年リーダー育成のクエスト ~私は、あなたは、隣の人はどんな人?みんなで自己発見の旅に出よう~
開発教育や海外日本語教育の研修ツールとして独自に開発した「自己発見のクエスト」のジュニア版を体験。中、高、大学生をはじめ、青少年に対して指導的な役割を果たす方にも、新しい視点や考え方を与える内容のワークショップを行いました。
K. 青少年参加型啓発プログラムを創るには
「グローバル社会における青少年リーダーの育成」を目的とした国際交流啓発プログラムを中心に、求められる国際交流の基本とは何かを考えて自らが企画・運営するために必要なことについて各自の経験を共有し話し合いました。
高知を知る
L. 龍馬の古里探訪ツアー
「龍馬の生まれたまち記念館」を参観し、龍馬が生まれてから脱藩するまでの様々なシーンを龍馬の目線で追体験したあと、ガイドの案内で龍馬の誕生地や龍馬が剣術修行に通った日根野道場跡、亀山社中のメンバーだった近藤長次郎邸跡等を巡りました。
分科会B スペシャルミールの基礎知識
分科会E アンパンマンから学ぶ 愛と正義と勇気!
分科会F 持続可能な開発のための教育
分科会G 青少年よ海外を目指せ!
分科会I グローバルリーダー育成のクエスト
分科会L 龍馬の古里探訪ツアー
大会参加者の記念撮影

タイ王国政府職員(社会開発・人間安全保障省子ども青年局)来訪

8月12日(水)、タイ王国の子ども青年副局長を団長とする社会開発・人間安全保障省子ども青年局(Ministry of Social Development and Human Security, Department of Children and Youth)の担当職員、地方職員(子どもの保護施設や家族問題を担当)の計19名が一般財団法人青少年国際交流推進センター/日本青年国際交流機構事務局を訪問しました。

訪問の目的は、日本の児童・青少年の現状や課題について、訪問先の具体的な取組を実際に学ぶことでした。今回の訪問では、主に日本青年国際交流機構の団体概要や青少年活動の取組を来訪者に説明し、我々が取り組む青少年活動等への理解を深めてもらうことができました。

また午後には、青年社会活動コアリーダー育成プログラム(障害者分野)の既参加青年が勤めるNPO法人高津総合型スポーツクラブSELFをタイ王国政府代表者が訪問しました。SELFは、スポーツが育む ひと・まち・みらいをテーマに、スポーツを手段としながら地域を総合的につなげる活動を行っている団体で、訪問者にとって新たな学びのある機会となりました。

一般財団法人青少年国際交流推進センターを訪問し、
日本青年国際交流機構等についての説明を聞くタイ王国政府職員
大橋玲子事務局長と来訪された
タイ王国政府職員
NPO法人高津総合型スポーツクラブSELFを訪問し、
SELFの活動について説明を聞くタイ王国政府職員
SELFにてタイの青年副局長が
記念品の贈呈をする
韓国青少年政策研究院職員来訪

6月18日(木)、韓国青少年政策研究院(National Youth Policy Institute)のファン・セヨン氏が
一般財団法人青少年国際交流推進センター/日本青年国際交流機構事務局を訪問しました。

大橋玲子事務局長から日本の青年国際交流の歴史や、国際交流の価値等について説明をし、
約2時間、日韓の青年交流について意見交換をしました。

ファン氏からは「日本の国際交流の歴史をよく理解することができた」、
「IYEOのような体系的な組織をボランティアで運営していることに驚いた」とのコメントをいただきました。

IYEOスリランカ教育支援プロジェクト

One More Child Goes To School

笑顔の輪を広げよう ~子供たちに夢を届けよう~

2008年より以下の目標を掲げて活動しているプロジェクトは、8年目を迎えました。
1. 一人でも多くのスリランカの子供たちに学校教育の機会を提供し、継続的に学ぶための支援をする。
2. IYEO会員及びスリランカへの教育支援に関心のある人々のネットワークを強化する。

里親(フォスター・ペアレンツ)制度は2010年から実施しており、第6期目となりました。6年間に支援した生徒数は、延べ125名です。2015年はペアレンツ65組で73名の生徒を支援しています。これまでペアレンツとして支援してくださった方々(IYEO会員紹介の一般の方を含む)は75組です。複数の既参加青年がグループで支援したり、家族で支援したりすることもあるため、ペアレンツの総数は100名を超えています。

プロジェクト開始以来、毎年スリランカを訪問し、生徒に学用品を届けるほか、現地で購入した品々を小学校に寄贈しています。昨年からは支援先小学校訪問ツアーを実施しています。今年度は、ツアー直前の参加者キャンセル等もあり、ツアーの内容を一部変更し、プロジェクトリーダーを含む2名での訪問となりました。訪問を通じて生徒用にラップトップ10台、学校で使用するアンプ一式(スピーカー含む)を寄付しました。また、訪問二日目には日本文化紹介を行いました。以前に寄贈したプロジェクターを活用したビデオ上映や折り紙教室を行うことで、子供たちは日本への関心をさらに深めました。

校長からは、「これまでの寄贈品が学校教育の質を向上させたので、進学の奨学金試験合格者が年々増えている」、「日本からプロジェクトメンバーが訪問することで英語の重要性が再認識され、親が英語をがんばって学ぼうとしている。子供たちによい影響を与えている」等のメッセージをいただきました。

さらに、家庭訪問を通じて、学校では見えてこない家族の置かれている厳しい環境を目の当たりにする場面もありました。今後も継続して、ペアレンツの皆様からの支援金にチャリティーでの支援金を合わせて子供たちや学校に必要なもの等を届ける予定です。

日程 スケジュール
7月18日(土) コロンボ着(夜)
コロンボ泊
7月19日(日) コロンボ市内観光
マータラ泊
7月20日(月・祝) マータラ及びゴール観光
マータラ泊
7月21日(火) 学校訪問
マータラ泊
7月22日(水) 学校訪問
車でコロンボに移動、空港にて解散(夜)
日本文化紹介の授業で折り紙に挑戦
学校あげての大歓迎(楽器は以前に寄付したものです)。
学校でツアー参加者の誕生日をサプライズでお祝い
教員、教育委員会の方とツアー参加者たち
プロジェクトに興味がある方は、以下のアドレスにお問い合わせください。
また、FacebookのOne More Child Goes To Schoolページも併せて御覧ください。
スリランカ教育支援プロジェクトチーム onemorechild@iyeo.or.jp

マクロコズムの表紙はスリランカの支援先の小学校に通う子供たちが描いています。
活動の様子はマクロコズムwebで一部報告しています。
http://macrocosm.jp/ Vol.106 2014年4月、Vol. 107 2014年8月等
「ナマステ!」
昭和54年度アジア短期第1班交流記
東京都 秋山 重男

毎年開催して今年で36回目。今回は長野善光寺前立本尊御開帳もあり、副団長の土肥さんの御配慮で長野市での開催となりました。

5月30日(土)午前10時、JR長野駅へ集合。小布施での栗おこわの昼食後、北斎の八方睨みの鳳凰図で有名な岩松院へ参詣、その後、ホテルへ入り、夕食を兼ねて参加者全員で旧交を温めました。

2日目の5月31日(日)は、御開帳の大結願日、4時起きをして、御住職からのお数珠頂戴に善光寺門前へ参詣しました。その後ホテルへ戻り、朝食後、ミーティングを兼ねて来年の開催地を大阪に決定して解散しました。

ここまでよく毎年続いているこの会には、インド、ネパールの日本語学校で出会ったカマルさんとマノージュさんもほとんど毎回参加してくれています。小さな国際交流を続けている「ナマステの会」です。

第10回「東南アジア青年の船」事業タイ同窓会報告
石戸谷 由美子

2015年3月19日から22日の3泊4日の日程で、第10回「東南アジア青年の船」事業同窓会がタイのバンコクとパタヤで開催され、6か国から既参加青年と家族、友人、元管理部の方を合わせた約60名が参加しました。

プログラムは、チャオプラヤー川でのディナークルーズで始まり、互いの再会を喜び合う姿があちこちで見られました。幹事国のタイ側が、32年前のプロフィール写真と中高年になった現在の写真を並べた名札を作ってくれたため、当時と容貌が変わっている人でも誰だか分かると好評でした。

その後、船のプログラムで訪れたグランドパレスをみんなで観光したり、民族衣装のアタイアで夕食会に出たり、ソリダリティ・グループに分かれてゲームをしたり、また亡くなった方々を追悼して思い出を語り合ったりと、充実した時間を過ごすことができました。

中でも、サタヒップ海軍基地で開催されていた「For Hopeful Children Project (FHCP)2015」※に短時間ではありましたが参加できたことは、貴重な体験でした。このプロジェクトは、第2回「東南アジア青年の船」事業のタイ既参加青年であるVisit氏が代表を務めている合宿型プロジェクトで、社会的に恵まれない状況にある子供たちを「希望あふれる子供たち(Hopeful Children)」と呼び、軍の関係者やボランティアと一緒に楽しい経験をしてもらうというものでした。私たちも、第10回「東南アジア青年の船」事業参加青年としてサテー(現地風の焼き鳥)やフルーツ、ご飯などの食事を提供したり、子供たちが海岸でボランティアや軍関係者と海水浴をしたりする場面に参加しました。この様な意義のあるプロジェクトに、少しでも関わる機会を作ってくれたタイ側の配慮に皆感謝していました。

楽しかった時間はあっという間に過ぎ、次回2018年に日本で開催される同窓会での再会を約束し、皆帰国の途に着きました。

私たちは皆、50~60代となり、次の世代に異文化交流のすばらしさを伝えていく立場となりました。ナショナルリーダーとして船に乗った人や、「東南アジア青年の船」事業でのすばらしい体験を自分の子供に伝えて参加するように促した人、日本の中学校生活を体験してみたいというシンガポールの参加青年の子供を2か月間預かった人など、色々な形で若い世代の国際交流活動を後押しするような場面も増えてきました。これからもこの出会いを大切にし、息の長い交流を続けていけたらと願っています。

※一般財団法人青少年国際交流推進センターは、平成20年より「タイ王国スタディツアー」を独自事業として実施しており、
 ツアーの一部である「For Hopeful Children Project(FHCP)」に実行委員として参加しています。

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